うなずく だけでは不足な理由
何を伝えるか
どう伝えるか
相手に対する理解
深いコミュニケーション(言葉による、作用)
相手の言葉により、自分にどんな変化が生じたか
(新しい知識を得た、発見があった、というのもその1つだろう)
世間話でないコミュニケーションは(極言すれば)作用の及ぼし合い。
コロナ時代をきっかけにとする独自の事情(でもないかも知れない)
成長に向けての3段階
「○○をしておくこと」というミッションに対して
「やりました」(だけ): 本当にできたのかどうか、相手に納得してもらえない。
→ 「できた」(達成できた、成功した)と判断した根拠は何かを示す必要がある。
(上記に加えて)選択した方法、手段を順を追って示す: 少し上達。だが、 答えだけが書かれた答案のようになっている。
→ おそらく複数ある選択肢(方法、手順、道具など)の中で、なぜこれを選択したのか、 それを考えながら
「学ぶ」姿勢と、それを表現すること:
大学での「課題」は、それを実施する経験を通じて、自分の中に変化が発生する ことを目的としている。
としたら、その「変化」について語ることが有効。
何が得られたか、新たに得られた疑問、広がった関心、など。
言葉で伝えることの大切さ
写真を送って読解を相手に委ねるコミュニケーションが、
「写メ」や、写真投稿サイトの普及、デバイスの大衆化等の動きと足並みを揃えて、
(特に若い人の間で)広がっている。
受け手は、そこから何を情報として受け取ったのかを曖昧にしたまま(発信者の意図と 受信者が受けとったものが一致したかどうかに関係なく)「いいね」のような肯定反応 を送る儀礼的慣習が広がった。
人と人がなんとなくお近づきになる、というプロセスには役立つ(たぶん)が、
深いコミュニケーションでは、意図を正確に伝達しようとする努力、正確に受け取ろうという努力が互いに必要になる。
写真や音楽や映像から意味や意図を汲み取ったり感じ取ったりする技術(アートの鑑賞に近い)もまた重要な知的行為だが、それと別に、実社会に必要な技術として、
文章でのコミュニケーションは重要。
少なくとも、大学での課題提出などの場面では、読解を相手に委ねる姿勢を続けていては自分のトレーニングにはならないだろう。
困ったときの行動
(初級)「わかりません」「どうすればいいですか」: ぜんぶ相手に丸投げ。
講義を聞いてたのかどうかも判然としませんね。社会人としては論外。
(中級)何を考えて、何をしたか、を報告した上で対策を相談する。うまくいかない(と判断した)場合は、何を根拠にそう判断したかを伝えることが重要(成功した場合も同じだ)。
(上級)頭を使う。なぜうまくいかないのか、自分がどうすればよさそうか、どんな選択肢がありそうか、といった観点から、自分が考えたことを(上記2.に加えて)伝えた上で助言を求める。
研究報告のストーリーの例