カリフォルニアの青い空
(パソコン通信People「福祉工作クラブ」に連載した記事を基にWeb作りました)

 1997年4月の3日から12日までの10日間、私こと英ちゃんがあこがれの国アメリカで見てきたこと、聞いたこと、感じたことを徒然なるままに、紀行文なるものを書きます。メインはWebAccess97という会議の参加なのですが、サンフランシスコに行くのならばバークレーとかスタンフォードも見てみたいし、そんなこんなの珍道中の始まりです。これから書いて行きますので、発行日は不定ですし、横からチャチャを入れるのも良し。


カリフォルニアの青い空(第1幕)

 今年こそCSUN(カリフォルニア州立大学ノースリッジ校)で開催される技術と障害者会議(Technology and person with dis-abilities)に参加してみたいと思っていた。が、CSUNはなんとPSVC(パソコンボランティア・カンファレンス97)の翌日からであり、PSVCの某首謀者(だれ〜)との約束を破るわけにも行かず(^^;)、例年通り年度末は忙しくなると予想され、今年もいけないな〜と諦め顔。とほほ、今年こそあこがれの彼の地(アメリカ)へ行けると思っていたのに..
 しかし、捨てる紙(捨てる神は、トイレットペーパー程度ですよ)あれば拾う神あり!チョベリグッ!なタイミングでWebAccess97の案内が舞い込む。

<以下、メールの抜粋>
 この度、スタンフォード大学、Center for the Study of Language and Information / CSLI にて、障害者の情報機器へのアクセシビリティ及びコミュニケーションの研究を行なっております「アルキメデス プロジェクト」では、来年の4月にカリフォルニア州サンノゼで開催されます第6回WorldWideWebカンファレンスに合わせまして、障害者のインターネットWorldWideWebへのアクセシビリティに焦点をあてたカンファレンス「WEB ACCESS 97」を併催させて頂くこととなりました。
 この「WEB ACCESS97」カンファレンスは、過去2回、視覚障害者のグラフィカル ユーザー インターフェースへのアクセシビリティ問題を討論する「GUI カンファレンス」として開催され、次回のカンファレンスで3回目を数えます。次回のカンファレンスについて、詳細を同送させて頂きましたので、ご参照下さい。
<抜粋終り>

 ラッキーなことに4月でPSVCは終わっているし、新年度だ〜。このメールはCSLIのVisiting Scholar合田吉行さんがわざわざ送ってくれたのです。これを逃してはいけない!と早速計画を進めれば良かったのだが、この私は直前にならないとエンジンがかからない人種。そんな訳で、これから始まるさえら姉との珍道中が始まるのであった。(前フリが長い!)
 日程は調整の後、4/3に出発して4/11(日本到着は翌日4/12ということをまったくわかっていなかった私は後日青くなるのであった)とし先ずは飛行機の手配。自費で参加の私はPSVCの前日にH○○へ。格安航空券の予約を入れて、PSVCの会場でWebAccess97の参加申込をWeb上で実施。早期割引き予約を時差の都合でぎりぎりセーフ!PSVCが無事に終了したのはいいけれど、待てど暮らせどH○○からチケット受取りの案内電話がこないぞ〜。と、電話を入れたら年度が変わり発券が遅れているとのこと。それはないよ〜と、泣きついたら成田で発券できるとのこと。仕方がない。出発日に発券してもらう事になった。でも、チケットがないのに成田へ行くことの心細さ....果たして出発できるのだろうか?
 それと前後して、どうせサンタ・クララ(WebAccess97)へ行くのだからバークレーの様々な拠点も見てみたいし、キーパーソンにも会ってみたい、スタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校にも行ってみたいし、昔?有名だったCIL(自立生活センター)もとりあえず見てみたい。バート(地下鉄)やバス、鉄道のアクセスも知りたいし、公共機関に於ける情報アクセスも調査したい。
欲張りだ!と叱られそうだが、自分勝手な気ままな旅だからできると思い、手当たり次第に電子メールを打った。多くの方々は好意的に受け入れを表明してくれたが、日時の指定がない....
 明後日に出発というのにスケジュールが埋まっていないよ〜。と、最後通知(とりえずこのホテルに宿泊します。都合を御知らせください)をメールして出発の日(4/3)まで待機。どうなることやら。(出発もしていないのに第1幕終了)


カリフォルニアの青い空(第2幕)

 予想通り、出発当日になってもスタンフォード大学の合田さん以外からの電子メールは届かなかった....まあ、サンフランシスコ到着日の訪問先であるスタンフォード大学からはOKの返事と、到着後のスケジュール(合田さんに負んぶに抱っこ)が埋まったので一安心。
 出発は成田発午後7時すぎのため、昼まで土壇場のメール確認のため、職場のデスクに。おっと、バスの時間が...そう、職場から最寄りの鉄道まではバス。しかも、30分弱かかる山奥に勤務する私は成田まではとっても遠い。横浜駅からの成田エクスプレスに乗るため、早速身支度を開始するが、そんなときに限ってデスクの電話が鳴り響く....私宛の電話でないことを願う....しかし無情にも私宛の機器に関する問い合わせだ〜!受話器を置いて時計に目をやり、次のバスの時刻を確認する。ゲ!20分後だよ〜ん。ギリギリ間に合いそうなので、10分まえから外のバス停に。
 小田急線、相模鉄道と乗り継いで成田エクスプレスのホームへ。これからが長い。相模鉄道からJRまでの長く感じたこと。改札でホームを尋ねる。階段を上がる。ホッ、間に合った。まだ、入線していない。指定席は親子連れの3人と。何やら東南アジアへの旅行らしい。楽しげに知人へのお土産の話しをしている。私はただただ眠く、通過駅東京を確認できず、気がついたら夕暮れの千葉だった。
 成田第1旅客ターミナル駅に到着。さて、目的通りのチケットが手に入れられるかドキドキしながらH○○インターナショナルのカウンタへ。実に呆気なく、しかも事前にさえら姉が指定してくれていた座席のボーディングパスを差し出される。これで、私もアメリカへ行けるのだ〜と感慨深げに眺める。良くテレビドラマに出てくる出発ロビーへの下りエスカレータを目指す。が、ウーロン茶を買っていないことに気がつき引き返す。そう、私はウーロン茶が無くては生きて行けない。(うそうそ、理由はそんなものではない)
 通常機内サービスにはウーロン茶はない。航空会社によってはあるのかな〜。機内は乾燥してのどが乾く。そのために各種飲料のサービスがあるのだが、コークは更にのどが乾くし、アルコールは好きなので飲みすぎてしまう(^^;)。飲みすぎると時差の適応が悪くなるらしい。(ほんとかな〜?)
 成田空港内にもコンビニがあり、そこで調達。そして、出発ロビーへ。荷物検査と出国手続きは行列覚悟だったのに、呆気なく通過。しまった、こんなに早く入ってもフライトはまだ2時間も先〜。時間潰しの手段、その一、探検。できる限りゆっくり(不審に思われない程度に)行けるところを歩き回る。売店、搭乗カウンタ、トイレ...しかし、それほど広くなく30分程度経過。その二、人間観察。ロビーは出国する人の他に乗り換えの人もいる。どこからどこへ行くのかな?どこの国の人?何語を話す?一人かな?あの人はこの人と知合いかな?他人かな?など思考する。あまりじっと見ると挙動不審者となるので注意が必要。
 あ、見覚えのある人、さえら姉だ。偶然にもさえら姉の会社の人もいたようで話し始める。行き先などの話題となり、突然私を「お客様」として紹介した途端、起立し自己紹介。営業の方らしい。私は慌てふためき氏名だけ名乗った。本当は「○○の伊藤です。」なのだろうけど。私は社会人してないな〜(^^;)。
 ようやく、搭乗開始。ファーストクラスやビジネスクラスでもない私たちは最後。ようやく747の翼の上に座り込めた。適度にすいていたので3座を2人で占有できた。ラッキー。しかし、飛行機というのは空調やらエンジンやらの音がうるさいな。
(搭乗しただけなのに第2幕終了)


カリフォルニアの青い空(第3幕)

 機内サービスのトップバッターは「御飲物」。さえら姉と英ちゃんのコンビは飲物と言えば○。早速酒盛りを開始(^^;)。時間の過ぎるのを忘れ、ブロイラー状態で食事の出番。もちろん、呑み物はワイン。しかし、UAのトレーは底が出っ張っていて安定性が悪い。イヤホンから流れる音楽を聞きながら窓に目をやる。そう、私は窓際が好き。ラッキーなことに窓際の3座が我々の食卓兼寝床?。
 窓の外はすでに暗く、顔を引っつけるようにして外を眺めれば満天の星空がそこには広がっていた。望遠鏡が欲しかった...さそり座が見える。右側の席のため南を向いているのか?アンタレスの赤がくっきりと近眼の私にも確認できる。外に出れたら凄い光景が見えるのだろう。(しかし、実際に外に出た途端、お陀仏だろね〜。)
 あっと言う間に夜が明けて出発当日の昼になった。(日付変更線を越えたので、4/3は1日41時間もあったのだ!)そして、ようやく陸地が見えたと思ったら呆気なくサンフランシスコ国際空港に到着。そこには、まぶしい光の降りしきるカリフォルニアの大地が広がっていた。入国審査で滞在先(ホテルの住所)を書くのを忘れて指摘を受けた以外は特に問題無く晴れてアメリカに入国。

 さて、到着ロビーに着き、円をドルに交換したのは良いけれど、ホテルのあるパロアルトまでのバス停がわからない。インフォメーションで尋ねたら、一般観光客向けのバン・サービス(ドア・ツー・ドアの乗合タクシのようなもの。20ドル程度)を教えられた。しまった、タダの観光客に見られている...ただの観光客ではあるけれど(^^;)、地元住人が利用する1ドルでパロアルトまで行くバスを探していたのだ。それを告げると笑いながら教えてくれた。旅の通は地元の人が利用する格安乗合バスを利用するのだ〜。(ほんとかな〜?)
 膨大な量の紫外線を浴びながら、バスを待った。20分程度で目的の「サンフランシスコ発スタンフォードショッピングセンター行」が到着して乗り込む。連結タイプのバスだ。1ドル紙幣を料金箱に入れて奥の座席へ。フリーウェイなのか一般道なのかわからないデカイ道をひた走り、途中さえら姉は熟睡しキャリングバッグがころころと独り歩きしていた(^^;)。1時間ちょっとで終点へ。ここはドコ?私はダレ?状態でバス停に。ダウンタウンの中心へ向かう乗り継ぎのバスを待っている間、チョット風変りなおばさんに「バスに乗りたいが金がない。金をくれ!」だの、サングラスを手に「これを買ってもらえないか?」だの言われるが、英語が通じないフリをして(本当に通じないのだが...(^^;))諦めてもらった。次なるターゲットは親切そうなさえら姉。もちろん、おばさんは愛想の悪い東洋人にブツブツ言いながら、道行く人達にも声を掛けていた。

 結構待って、目的のバスが来た。(後から気がついたのだが、空身ならわざわざバスに乗らなくても充分歩いて行ける距離だった。)運ちゃんに「シティーホールで降ろしてね!」って言ったのだが、(次のバス停がドコソコなどと言うアナウンスはしない)それらしき立派な建物を通りすぎ、あわててさえら姉が尋ねたら、「一つ前」。「オー・マイ・ゴッド!」と言う所だろうが、そこまで気が行かないね〜。(もっと英語を勉強しておけば良かった)
HOTEL CADINAL  パロアルトの市役所の斜向いに、これから9日間宿泊するカージナル・ホテルはあった。予想以上に立派なホテルで、ダウンタウンの中心街のため周囲にはいろいろなお店があり、人も多くて賑やか。チェックインの後、部屋に入る。明るい窓からは向いのカフェが見え、本を読みながら、またはおしゃべりをしながらコーヒーを飲んでいる光景はカリフォルニアそのもの。
 しばらくすると今回の渡米の仕掛け人であるスタンフォード大学・アルキメデス・プロジャクトの客員研究員合田(ごうだ)さんが来てくれた。本日はスタンフォード大学言語情報研究センターの見学。カルトレイン(サンフランシスコ〜サンノゼを往復するダブルデッカーの鉄道)のパロアルト駅まで歩いて行き、そこからスタンフォード大学の無料キャンパス・バスに乗るとのこと。駅まで来たところで...先ほど空港からのバスで降りた所と目と鼻の先。ははは。
 無料バスはもちろん誰でも乗れる。周回しているため、左周りと右周りとがあるらしい。全く位置関係がわからないままバスに乗り、メディカルセンターの次で降りる。しかし、広い。何の木だかわからない巨木が無数に生え、国立公園のような感じ。建物は高くて3階程度。しかもコンクリート打ちっぱなしの日本の大学とは異なり、煉瓦色の瓦屋根にロマネスク様式の作りで、教室というよりは博物館!とか遺跡のような感じがする。先日優勝したタイガーウッズもここで勉強したのかな〜と思いながら歩いて行くと洒落た住宅らしき建物が2棟。壁にはCSLI。は〜、こんな環境で研究しているのか〜。と、ため息が漏れた。(ため息が漏れたところで、第3幕終了)


カリフォルニアの青い空(第4幕)

 訪米、まだ初日.....時差ボケでけっこう眠いですよね〜。CSLI(スタンフォード大学 言語・情報研究センター)のセンター所長はジョン・ペリーさん。合田さんに紹介してもらい、ご挨拶しかしませんでしたが、頂いた名刺には日本語で「ジョン・ペリー」と印刷してあるのには驚きました。日本からの訪問者が多いのか?、それとも日本通でいらっしゃるのか?は定かではありません。

 CSLIは管理棟のベンチュラ・ホールと研究棟のコーデュラ・ホールに別れていますが、外見は大きな2階建ての欧風住宅のようです。コーデュラ・ホールはいくつかの研究室が有り、2人で1部屋を使っているようでした。とりあえず、 アルキメデス・プロジェクトの紹介をしてもらいました。

Mr. GREG  まず、グレッグ。彼の名刺にはソフトウエア・デザイナーと印刷されていましたが、現在のメインテーマはeye gaze system(視線検出)による文字入力システムのようです。眼球運動検出の基本的なハードウエアは既存のメカニズムを利用しているようで、キャリブレーションから視点認識、文章の推論?(既入力の文章から、今入力中の数文字により、入力しようとしているワードを予測する)、ワープロとしての編集機能などをシステムとしてデザインしている。ゲーム性を取り入れたキャリブレーションの方法に興味を持ったのは私だけかな〜?
EYE GAZE SYSTEM  ターゲットとなる文字盤はアルファベットと数字、編集用ボタン、入力用ウインドウなど必要最小源のもので構成されている。また、このシステムにもTAP(Total Access Port)が接続されており、様々なコンピュータで利用可能となっている。TAPとはTAS(Total Access System)という概念の一部であり、アルキメデス・プロジェクトのボス ニール・スコット氏のアイデアから生まれた。障害者などの個人が利用するPersonal Access Deviceは個人により様々。それを用いて一般のコンピュータのキーボードとマウスを操作するのと等価な信号にTAPで変換すれば、専用のキーボードとかマウスというのは不用となるし、使いなれた装置が利用出来るため利用者にやさしい。(これを専用のデバイスではなく、OSで解決したのもがWindows95のユーザー補助にあるシルアルキーデバイス。)現在、TAPにはWindows95つまりPC AT互換機用とMac, Sun(UNIX), SGI(Indy)の4種類が存在する。

Mr. J.B. 次は、J.B.。彼は高位頚髄損傷による四肢麻痺(C4)であるが、グレッグ同様アルキメデス・プロジェクトの研究者の一人。名刺にはインターネット・リサーチャーとなっているため、ネット・サーフィンはお手のもの。ヘッドマスター(頭の動きでマウスポインタを移動させるマウス代替入力装置)によりマックのマウスを自由に移動できる。ヘッドマスターの標準的な利用方法ではクリック操作を呼気スイッチにより実現しているのだが、JBはクリックやドラッグなどマウスのボタン操作と、キーボード操作を音声認識で賄っている。そのため、ネットスケープを立ちあげて、リンク先をヘッドマスタでポインティングし音声で「クリック!」と指示すれば、メデタク指定されたページが表示される。
 音声認識は別のPCで処理されるのだが、構文解析や単語予測などの機能が有り、英文ではかなり正確に入力できるようだ。その辺りは「言語・情報研究センター」の強みなのだろう。ヘッドマスターのようなポインティング装置と音声認識によるハイブリッドなインタフェースについて、考えていなかったので新鮮に、しかもスマートに感じたのは私だけかな〜?(彼の電動車いすはやはりヘッドコントロールで操縦とかリクライニングが可能なものであった)
(ミーハーなさえら姉が追っかけをやるほどハンサムなJBで第4幕は終了)


カリフォルニアの青い空(第5幕)

 時差の関係上、1日が41時間というボケボケの状態でようやく夕刻。合田さんに「会わせたい人」がいるということでCSLIを後にする。日も傾き、やや肌寒い。カリフォルニアといってもサンフランシスコやパロアルトは東京よりも緯度が高いのだ。四季ではなく、雨期と乾期の2シーズンでちょうど乾期に入ったところ。
 さて、どこに連れて行ってくれるのか?不明のままキャンパス・バスに乗り、広大なキャンパスの奥にある教職員用の閑静な住宅地らしき所で下車し、しばらくやや登り勾配のある道を進んで行く。緑は多く、家も疎らで広く、軽井沢の高級別荘地?を思わせるような処であった。木々は生い茂り、しかもかなりの樹齢だ。

 登りきったところで左折し、ロータリーのある場所に、目的のお宅はあった。駐車スペースの奥に玄関が有り、合田さんがインターホンを押し、到着した旨を告げると、犬と一緒に奥様が出てこられた。名誉教授のご自宅だと言われて、中に通されるとそこにプロフェッサーはいらっしゃった。「スタンフォードのホーキング博士」と紹介されたリーパーマン博士はALS。電動車いすにレスピレーター(人工呼吸器)を取り付け、テーブル上にはThinkPadが搭載され、特製アームレストに前腕を載せ、指先のサックでキーボードを打鍵する。もちろん、トラックポイントは消しゴム(のようなもの?)で補高してありマウスポインタも操作可能。前幕で紹介した単語を先読みするシステムを利用して次々と文章を作成し、デックトーク(音声合成装置)を通して、滑らかな米語で喋りかけてくる。

 体に動きはなく、頭も固定されているが、意思の疎通は完璧だ!。奥様との会話にも、我々よりも先にいらしていた先客の友人らとも和やかに会話をしている。とても自然に。途切れなくリズムを刻んでいるレスピレータの音が耳障りになることもなく、ThinkPadに取り込んであるピクチャデータのアルバムからご子息の写真やお元気だった頃の写真(バリバリの工学部長って感じ!)、サッチャー元英国首相との写真などを拝見した。そして日本のニュースで紹介されたビデオテープ。某民放の番組で博士は「代議士・鳩山由紀雄氏の恩師」として紹介されていた。ダイニング・テーブルでワインをご馳走になりながら、いろいろな話しを伺った。が、英語力の問題か、それとも愛犬とじゃれていたのか、時差ボケか、ワインに酔ったのか、あまり覚えていないのが悲しい。(その愛犬は、私の両腕の全てをなめまわし、挙げ句の果は足を枕にして眠りついてしまった。猫好きの私が、これほど犬に好かれたのも珍しい。)
 大好きなクラッシック音楽を連奏CDでコントロールしながら聞き、時折訪れる訪問客と語り合いながら、人生をエンジョイしている博士と、博士が発症後も大学の住宅に住み彼への支援をボランティアとして続けている大学や、友人、教え子などに深い感銘を覚えて、博士の自宅を後にした。

 さて、長い長い訪米初日の日も暮れて、パロアルトのダウンタウンに戻ってきた。自分達の歓迎晩餐会の始まり始まり。ホテルの裏手にあるイタリアン・レストラン。合田さんがウェイタに「静かなところで」と指定してくれたので、店の一番奥の席に。まずはワイン。量が気になったがハウスワインのピッチャーを注文。(もちろん、飲み干して、しかも追加したのであった.....)
 障害者を取り巻く社会環境の日米比較から、日本における技術支援の在り方、はたまた昔話など。もちろん、ここには書けないような内容も飛び出すほど、楽しくそしてエキサイティングな夜が更けていった。もちろん、私には時折睡魔が襲ってくるのだが、さえら姉の笑い声や合いの手による「悪魔払い」で辛うじて起きていた。(^^;)

 我々3人だけが最後まで残っていた。(閉店後かなり経っていたのか、店長らしき人しか残っていなかったが....ごめんなさい)
(初日の大宴会と同時に第5幕が終了)


カリフォルニアの青い空(第6幕)

 あ〜、良く寝た。訪米初日の夜が明けました。とっても爽快な朝です。カリフォルニアの青い空がとてもまぶしく、南に面したホテルの窓から光が差し込んでます。

 スタンフォード大学の関係者が利用するこのホテルにはレストランなど洒落たものはなく、コインランドリーやコークの自販機があるだけ。そのため、朝食を取りに外へ出る。陽はまぶしいが、まだ日影は肌寒い。ホテルの正面に位置したカフェへ入ると、コーヒーを注文する人達の列。その最後尾に立ちながら、周りの人達を観察。新聞や雑誌を見ながらコーヒーを飲んでいる人、書籍を睨みながらノートに筆記している学生らしき人、小さなテーブルにパワーブックDuoを置きタイピングしているアインシュタインに似たおじさん、クロワッサンとコーヒーカップを手にしながら議論している人達、夫婦らしき初老のカップル、パンを買いに来たおばさん、そして、出された朝食セットの量にたまげながら、カリフォルニアの清々しい朝について外国語で話しをしている東洋系のさえら姉と私。
 さて、本日の予定はバークレー。バークレーはアメリカの障害者自立運動発祥の地でもある、カリフォルニア州立大学バークレー校(UCバークレー)がある。パロアルトからはやや遠い。サンフランシスコ経由か、対岸のフレモント経由になる。ホテルのフロントで、ダンバートン・ブリッジを使ってサンフランシスコ湾の対岸にあるバート(地下鉄)のユニオンシティ駅へ行くバス路線を聞く。
 パロアルト市役所前のバス停で待つ。バス停には時刻表などはなく、バス路線に固有の数字(または数字とアルファベット)と行き先だけが記載されている。数字だけでは反対方向に行ってしまうこともあるので注意が必要。道を行く車を見ていると、右側通行である点を除けば日本と大して変わらない。トレーラーやトラックは大きいのだが、日本車も多く小型車が圧倒的に多い。大きめのRVもパジェロやランドクルーザといった日本車やチェロキー、エクスプローラといった馴染のある車が圧倒的に多い。
 かなり待ってようやく目的のバスが来た。ほとんどのバスは1ドルか1ドル25セント程度。しかし、日本のように両替機やおつりが出るようになっていない。運悪く(運良く?)小銭は10セントしか無かった....3ドル出そうとすると2ドルと10セントだけでOK!それだけで良いとバスの運転手。ラッキー。(かなりアバウトなのよね〜。)
 パロアルトの外れに差しかかったころ、巨大な美しい彩りの建物が広がっている。日本の工場はコンクリート打ちっぱなしかプレハブが主体なのに、屋根の形や窓までやけに凝っている。どんな会社かと正面ゲートを待っていると...見慣れたSunのロゴ!おお、凄い。サン・マイクロシステムズの本社だ〜。

 それからダンバートン・ブリッジを渡る。かなり長く、そして高さもありそうだ。対岸までたぶん数キロあるだろう。それを橋で渡してしまうところが凄い。フリーウエイだから料金などいらないし、渋滞していないの快適。でも、かなりの交通量だ。
 サンフランシスコ湾を渡り、しばらく走ってようやくバートのユニオンシティ駅終点に到着。所要時間1時間程度か。バート(地下鉄)と言ってもこのあたりは地上鉄。階段を登ったホームで待つ。バートのチケット売場も両替できない。しかし、切符というよりはプリペイドカードの様な物。行き先よりも余分に支払った場合、下車駅の改札でカードは戻ってくる。とりあえず帰りもバートに乗る予定なので余分に支払う。バークレーへはリッチモンド行きに乗る。
 自転車ごと乗ってくる人の多いこと。バスにも自転車を積むためのキャリアが付いているものもある。日本では人が多すぎて邪魔になるのだろうが、こちらでは平気。自転車ごと乗れるぐらいだから電動車いすなどはへっちゃら。電動3輪が途中で乗ってきた。

 地下を走るようになると乗車する人が増えてきた。そして、バークレーへ到着。地下鉄の駅から地上へ出ると、そこは学生の街。我々は方向もわからず、とりあえず多くの学生(らしき若者)が歩いて行く方向へ同行。カフェやファミレスの類、洋品店、文房具屋、書店が軒を連ねている。スタンフォード同様、森林公園のようなキャンパス入口から金子寿著「バークレー体験旅行記」の大学構内地図を頼りに進んでいくと、ちょうど正午。キャンパス中央のセイザータワーから鐘の音が奏でられてきた。(憧れのUCバークレーに着いて、第6幕は終了)


カリフォルニアの青い空(第7幕)

UCB TOWER  セイザータワーへの途中に大学の図書館があり、ちょっと寄り道。一般の人でも自由に入れる模様。中には情報検索用の端末などの部屋もあり、学生がびっしり張り付いている。外部からのダイヤルアップによるアクセスも可能。車いすマークの付いた端末もあったが車いすでも利用できるように机がやや広いという程度かな?生物学教室には恐竜の化石などがある博物館もあると聞いていたので入ってみるが、普通の階段教室。他に入口があったのかしら?
 ようやくセイザータワーに。これに登れると後から聞いた。登っておけば良かったな〜。何を隠そうオバカな私は高いところが大好きなのだ。ちょうど昼休みで学生が溢れていた。生協(正確には学生向けの売店。)に行きたいのだが、なんと聞けば良いのやら...生協??の英語訳は???と混乱していたが、さえら姉がおばさんに聞いてキャンパス外側であることが判明。そちらに向かうと、そこには黒山の人だかり。ちょうどサークルの新人獲得合戦の様相と、自治会の役員選挙か?弁論部の広報か?定かではないが学生が演説をしており、拍手やら口笛が飛び交っていた。そこを抜けると右手に生協(売店!)があった。土産としてUCバークレーのネーム入りTシャツやらシャープペンを購入。

 さて、バークレーといえば今は亡きエド・ロバーツ氏が重度障害者として初めてUCBの学生となり、障害者が学生として生活するのに必要な支援プログラムを作った。そして障害者の自立生活を支援するための非営利機関CIL(Center for Independent Living:自立生活センター)を創設した。しかし、その有名なCILも時代と共に蔭が薄くなりつつある。訪米前、様々な方々にバークレーで訪問するべき拠点を推薦してもらったのだがCILは含まれたいなかった。マイケル・ウインター氏などが中央へ移動してしまった後キーパーソンが居ないという。それでもミーハーなジャパニーズはCILへ向かった。途中、電動車いすを何台も見つけ、颯爽と通りすぎて行くのをうれしくて見つめていた。途中、歩道に(入荷のため?)大きな段ボール箱が積んであり、電動車いすのお兄さん?が通れそうにないのを見つける。なんとか通れる程度に段ボール箱を傍へ退けて笑顔で見送った。CILの正確な場所を確かめたい!。丁度良い機会なので彼ならば知っているに違いないと思い、追いかけて呼び止め、聞いてみた。おもむろにコミュニケーション・エイド(キーボードに、自分用と相手用の2つのLCDを持つポケコンのようなもの)のパワーを入れ、「4ブロック先の左側」と教えてもらった。

 当たり前だが、CILは有った。電動ドアの向こうにはやや恐そうなおばさんが「何か用?」的な視線を送ってきた。無論、アポなど無いのであって、とりあえず金子寿著「バークレー体験旅行記」のCILの写真部分を開き、「彼は自分の友人で6年ほど前にここに来ているのだ。できれば、見学したい。」などを、身振り手振りで伝えたのだが、「自分は知らない。今日はTVの取材が入っているので忙しく、見学はできない。」と門前払い。ま、しかたない。アポも無いし、コネも無い。とりあえず入口付近にあった資料をいくつか貰って外へ出た。

 さて、気を取り直して次なる拠点に。事前にWIDのベッツィさんから推薦して頂いたCenter for Accessible Technology(C for AT)へ向かう。所番地しか解らず、バートの駅にあった地図で確認した限りでは、かなり海(港)に近いところでUCBから歩いてはいけない。バス停で見知らぬご婦人に所番地を指定して伺うと、ここから出るバスでOKとの事。ただし、ストリート名までは合っているが番地が問題。バスに揺られながら気がついた。このバスには車いすが3台乗っていた。さてどこで降りるのだろうと思っていたら、なんと運良く同じバス停。車いす用リフトの運転を初めて見ることができた。しかも3回もね。

 ストリート名を確かめて、番地を見たら...さあ、大変。6ブロックも先だ。歩いて行くしかないな〜。と、いうことで炎天下の元歩き始める。しばらく行くと何やら怪しげな人の群が、あちこちに。家もアメリカにしては小さく、平日の昼間からビールを呑みながら座り込んでいる人がちらほら。なんとなく、恐そうなお兄さん達とスケボー少年の間を通り抜け、壊れかけた車(とても動きそうにないような外見)が爆音を奏でながら通りすぎて行く。と、思ったらまた戻ってきた。ひゃ〜、と内心ビビッていたのだが、さえら姉はケロッとしており一安心。まあ、最悪の場合は姉様がその度胸で何とかしてくれると思いながら早足で歩き続けた。ところが行き止まり!河川の工事中で橋が通行止め。渋々迂回をするが、たった1本ストリートが違うだけで、ガラッと街の風景が異なっている。え〜、さっきまでビビッていたのは何なの〜?って感じがした。始めからこのストリートを歩いてこれば良かった...

 さて、目的に近付いた所で所番地を確認。ここか〜?港の倉庫だよ〜?と、見ているとそこに車いすマークの駐車スペースが。一番近くの倉庫入口から様子を見るとCforATの文字が! おお!ようやくたどり着いたぞ〜。(目的のCforATについたところで第7幕が終了)


[ 戻る ][第8幕へ][第13幕へ]