専門ゼミナールレポート
M君への手紙(準備中)
| 身近な環境問題を学んで | 植木 雅弥 |
| 星野リゾートと里山の活用 | 中島 佑介 |
| 「にっぽんこどもじゃんぐる」を調査して | 勅使川原 弘晶 |
| ピッキオ(Picchio)のことなど | 佐野 大輔 |
| バイオマスについて考える | 荻原 健一 |
| 長島専門ゼミを一年間受講して | 大島 和典 |
| 里山再生をめぐって | 倉田 健司 |
| ゼミで学んだ環境の大切さ | 鵜里 光司 |
| 自分なりの里山感 | 大和 邦浩 |
| 里山研究から得たこと | 宮澤 智典 |
| 誰もが通える里山学校 | 窪田 圭助 |
| 里山再生と循環型社会 | 上野 雅生 |
卒業生レポート
| 住民のために | 高橋 宗明 |
| 国立長野病院の医療事故を考える | 中村 紗絵美 |
[専門ゼミナールレポート]
身近な環境問題を学んで
植木 雅弥
1)里山整備作業に参加して、学んだこと
はじめに、この章は二つに分けようと思う。まず1つは、里山整備作業を実行するまでの足跡。そして2つ目は、里山整備作業から学んだこと、これらについて報告してみようと思う。
まず序章として、里山という言葉について説明しよう。
「里山」という意味を電子辞書でリサーチしてみたところ、「人里近くにあって人々の生活と結びついた山や森林」と表示された。今思えば、そのような短文で表現できるほど、生易しい単語ではない。
そもそも里山という言葉は、太古から呼ばれていたわけではなかったのだ。おそらく、ほとんどの人々は、里山の意味を厳密には知らないと思われる。それもそのはずである。何故ならば、里山と言う言葉はつい最近作り出されたものであり、1998年発行の『広辞苑』第五版から記載されるようになった言葉だからである。
里山とは、人跡まれな「奥山」に対して、人の住む里に近い山を「里山」と呼ぼうと、1960年代に命名された。つまり、戦後生まれの造語なのだ。ただ、それ以前から「人里の山」という感覚で里山という言葉が存在したという説もある。
いずれにせよ、里に近い山の自然は奥山のそれとは異なる、という前提があるからこそ、名付けられたことに間違いない(田中敦夫 『里山再生』洋泉社、2003年、p.16)。上に記したように、里山という言葉は非常に複雑で奥が深いのである。
ここから里山整備までの事前学習について論じてみよう。
私たちゼミ生は、何の準備もなく、全くの無知のまま山中に飛び込んだ、というわけではなかった。事前学習において里山に関する研究を余儀なくされた。しかし、「二度」同じ過ちを犯すわけにはいかなく、当然のことだった。
ここで「二度」という文字が出てきたが、私が大学2年の春休みの最中だったろうか。私は当時のニュースを見て、長野大学の裏山で山火事が発生したことを知った。山火事が発生したことを忌々しく感じたが、なによりも、私は長野大学の学生として、かなりの屈辱を覚えたあの出来事は、つい昨日のように鮮明だった。
4年生が卒業式後に、不要な本を山の傍で焼却処分したことが原因であった。当日は風も強く、空気が乾燥していたため、物が燃えるには最適な条件だった。しかし彼らはそのような知識を認知していなかった。その結果、山火事に至ってしまった。以上が話しの概要だ。
おそらく、この専門ゼミナールのテーマの由来は、環境問題だけではなく、そういった山という自然の驚異を認知させるために、設定したテーマだったと考えられる。
そして、森林に対する事前学習がひと段落したところで、まず、記念すべき第1回目の体験学習は2003年4月26日に行い、第2回目は2003年10月11日の計2回の森林整備に参加した。内容は双方ともほぼ同様だった。当時の出来事は鮮明に覚えている。私は、幼い頃、山の中を探検した経験が無く、強いて言うならば、中学校の行事で、登山を行ったくらいだった。
だから、登山ではなく森林整備と聞いて、好奇心旺盛な私にとっては、非常に楽しみにしていた出来事だった。
そして、いざ山中に入ってみると、それは驚愕だった。木の数が多いのは言うまでもないが、問題は数ではない。「木の細さ」だった。植えてから30年は経過しているにもかかわらず、あまりにもやせ細っていた。普通30年を経過していると、人間が木に抱きかかえるようにすると、両手を届かせるのはほぼ不可能と言っても良いくらい、太くなるのだ。それが今回の場合は不自然だった。どの木を見て探しても、やたらと太い木を見つけることはできなかった。しかし、それは事前学習で認識済みだったので、予想通りの結果だった。
そもそも、森林整備の目的は「間伐作業」だった。木々が細くなる原因は、間伐を行わず、木の根元の周辺にある下草刈りも行わなかったからだ。周りの木々や下草が、木が成長するための養分を吸い取っていたから成長への進行が遅れてしまった、と森林インストラクターの方から説明を受けた。それを聞いた私は、「ならばこの木々のためにも、遠慮なく根こそぎ刈り取ってやろうではないか」と、言葉には出さなかったが、がむしゃらに動く姿勢でそう主張した。
やがて間伐作業が終了し、辺りを見回して見ると、明らかに効果が出ていた。というのは、私たちが作業を行ったところだけ、太陽からの光が大いに挿し込んでいた。私は「これで木々たちの成長も格段に早くなるだろう」という確信に満ちた。しかしその反面、それ以外の場所を見てみるとどうだろうか。光が挿し込むどころではなく、まるでジャングルだ。奥行きも全く見えない状態だった。ちなみに、私たちが行った裏山そのものの全面積は、約327ヘクタールであるのに対し、私たちが行った面積はどんなに見込んでも、1ヘクタールもなかったのではないか。そう考えてみると、私たちが必死に作業をした場所は、非常にわずかな部分に過ぎなかった。
それもそうだろう。何故ならば、当時の作業員は、約50名程度だったろうか。確実に100名は存在しなかった。それだけ人数が少なければまともに捗らないのも無理はない。
逆に考えてみると、環境に対して深刻に受け止めているのは、その50名程度で、それ以外の人々は環境に対して「無関心」ということだ。深刻に考えているならば、必然的に行動に移るはずなのではないだろうか。
今回の体験学習に参加しての感想になるが、私たちは、地球環境問題だけではなく地域の自然に対しても軽視しすぎている。このままでは環境や森林が破滅するのも時間の問題だ。私たちの中には、森林から生活を支えてもらった、という人々も存在しているはずである。森林は既に破滅へのカウントダウンが始まっている、と認識しなければ、手遅れになる可能性は極めて高い。破滅を食い止めるには、地域の人々の協力が絶対不可欠だ。地域の人々を森林に目を向かせるためにはどうすれば良いかを真剣に考え、そして実行しなければならない、と私は考える。
2)フォレスト工房もくり
しかし、上田市周辺には、森林の整備や森の木の価値を認識しているグループもたくさんある。真田町の傍陽(そえひ)にある「フォレスト工房もくり」も、その一つである。会員制のこの工房の理事長は、山口登さんで、 年会費は2000円、正会員は15人である。
フォレスト工房の「工房」は広大に広がる森林や地域の里山そのもののことである。普段私たちが使用する材料は、そこにある森の木々や自然・森林環境であり、フォレスト工房が送り出す製品は、人と森林の新たな関係を築き、豊かな森林文化に貢献している。
「もくり」は、漢字では「木理」と表示される。これは「木目」と同じ意味であるが、どうも語感が良くないということで、ただ何となく響きが良い「もくり」にしたという。単純な理由で名前が決まったと思われるかも知れないが、勿論、それなりに大切な意味が込められている。
木目(木理)の中には、トチノキという大木に出る縮み杢(もく)という特別なものがあり、それは高価な銘木として取引されるという。つまり、自分たちも何か光る個性を放ちたいという理由から「もくり」と名づけられたのである。
★「もくり」が目指すもの
@ 森林業(新林業)の構築
今一度、資源循環型の社会の実現を目指す。そのためには多様性ある森林造りへの種々の提言と、山の産物、とりわけ除間伐材の有効利用の研究を追求する。
ただ単に、材の付加価値を上げればいいという安易な考えではなく、循環型社会の再構築の枠組みの中で、木材利用文化の追求を怠らない。
A 新たな森林文化の創出
「週末は森にいる」。そんな人たちを集めたい。以前のような森林と人間との密接な関係をもう一度再現させ、モノを生み出す森林から人を育む森林への転換を図る。
森林と人の社会との関わりの歴史を振り返り、人が森林から何を得てきたかを知ることができれば、森林は決して一部の人々だけの生活の場や楽しみの場ではないことが一目瞭然である。
森林に関わること、森林のことを考えることが決して特殊なことではない。もくりはそんな環境作りをしていく活動を目指している。
B 森林普及活動
森での遊び方、森での時間のつぶし方、森を管理育成するための知識や技術を伝える。外からの森林開発ではなく、内側からの森林開発にも着目したいと考える。
このような観点から、子供たちには早い段階から、森林環境教育の重要性を認識してもらいたいと考え、まだ整備のされていない体験型のフィールドに経験させることで、将来的に期待を寄せる人間になってほしいとの願いから、体験教育プログラムを設立した。
C グリーンツーリズム
都会の住民と山村の住民、下流地域と上流地域との間で交流機会を推進させる。常に観光資源を森林に求め、地域活性化と山村経済基盤の確立に貢献する。
「もくり」には、グリーンツーリズムに深く関わってきたスタッフが多数存在しているので、彼らは、真田町とが連携をとりながら、グリーンツーリズム事業に貢献している。
グリーンツーリズムの実現と、それを通じた、観光における一分野の確立が、「もくり」の目指す目標の一つである。
★もくりができること、したいこと
現役の林業人、森林組合のOB、森林生態系の研究者、森林や山に詳しいスタッフの増強、冬の樹木に詳しい経験豊富なスタッフも視野に入れているので安全性の確保について心配は無用という。そして、彼らをバックアップにし、後継者育成と森林整備を兼ねて、講習会や講座を計画している。
さらに、森林整備事業のNPOが目立つ昨今であるが、今こそ身近な里山地域から新イベントを通して、森林整備のあり方を提唱していくという目標を掲げている。単なる受身の活動を行う自然案内団体ではなく、包括的で積極的な活動が可能になっているのが「もくり」の強さである。
★その他の事業活動
@ 森林の管理育成講座事業
森林に感心を寄せる人々を対象に、実際の林業技術や森林管理のノウハウを伝授していく。それと同時に、森の中での各種の楽しい活動を指導できるインストラクターの育成も目指している。
A 森林の管理人育成養成事業
自然の中で遊ぶ知恵や技術を学ぶために、自然観察会を行って、インストラクターの養成を目指す。その概要は、森林インストラクター、県自然観察インストラクター、ネイチャーゲーム指導員等の有資格者の集団である。
B 森林体験学習事業
「もくり」は、学校ではじまっている総合的学習を応援している。都会の学校の林間学校、地域の子供会、公民館等からの要請を受けて、体験学習の企画立案からフィールドの手配、ネイチャーガードの派遣まで行っている。
C 森林整備事業
林業が低迷している中で、放置されている山林が各所に見られ、これを行政・森林組合・森林所有者と連携をとりながら、森林整備ボランティア活動として間伐・徐伐・枝打ち等の作業を行っている。
★感想
内心では、「いくらNPOとはいえ、知名度も低く、活動内容も漠然としているのだろうな」と考えながら、調査を始めた。しかし、いざ調べてみると、恐縮するのみだった。「もくり」の偉大さが身に染みて理解できた。おそらく、「もくり」はNPOの中でもトップクラスに入るのではないか。根拠は無いが、何故かそう思った。国に例えるなら、先進国だ。
完璧にもくりのことを知り尽くした、とはまず言えないが、ネット上の情報だけでここまで満載だと正直驚いた。では、実際にもくりの場所を訪ねたら、どれくらいの情報が手に入るのか、と素朴な感想を持った。
3)この1年間を振り返って
@夏合宿を振り返って
夏合宿ということもあり、効率の良さを重視したのかどうかは不明だが、菅平のペンションで行った。私にとって菅平に出向くのは半年振りだったろうか。向かう途中で、スキー場を見かけたときは、非常に驚いた。何故なら、夏のスキー場を見ることは過去に1度も無く、私にとっては珍しい体験だったからだ。そして、標高が高いだけあって、肌寒かったのも記憶に新しい。
合宿で一番印象に残っている事は、異色な場所での勉強もあったが、それ以上に、大して親しくなかったゼミ生と友人になれたことが一番の収穫だった。もし合宿に参加していなければ、学校内で顔を合わせても挨拶すら出来なかったのではないだろうか。
成功した一番の要因は、男同士でなければ決して話せない内容を平気で言葉を発し、それで重苦しい空気を破壊したことだったと考えられる。そうなってしまったら、私のマシンガントークは誰にも止めることが出来ない。そのおかげか、皆を笑わせることができ、私自身も非常に満足したのだった。
Aゼミを通して環境問題に対する意識はどう変化したか
私は元から環境問題に対して、非常に深刻に考えている。だから、環境問題の意識はそれ以上に強まったと言える。
森林整備の項目に記されていることと酷似しているかもしれないが、私たちは環境問題に対して無関心すぎるのではないだろうか。私たちが現在に至るまで発展できたのは、誰かが協力してくれた、ということではないだろう。もちろん自らの力で、と言う人々もいるかもしれない。果たして、本当にそうだろうか。
私は、どの人々も環境問題を他人事のように扱い、自分が協力しなくても誰かが何とかしてくれるだろう、という甘えが生じているように思ってならないのだ。もしかしたら、その「自分が協力しなくても誰かが何とかする」という言葉が、環境問題改善に向けて、事が思うように進行しない悪循環を招いているのかもしれない。何かを成し遂げるためには、行動や活動といった勇気が試される。
もちろん、1人ではさすがに限界があってもおかしくはない。だからこそ、森林整備という企画を提案し、広告に載せて宣伝をするなど、地域住民の人々の協力が必要不可欠になる。活動しなければ解決する問題も延々と長引いてしまう可能性も考えられる。
つまり、森林整備といった事業に参加しただけで、環境問題の改善に向けて活動できたのは言うまでも無い。そして、炭を利用している人々にとっては是が非でも森が活き活きとしていることを望んでいるはずだ。
そう考えてみると、私たちは何気なく何の変哲も無い生活をしているが、間接的に環境から支えられている、と言っても過言ではないだろう。森林破壊は視界で捉えることも限度がある。その破壊を最小限に抑えるためには、どうしても地域の人々の協力が必要になる以上、私たちは一致団結して活動をする義務がある、と私は考える。
B身近な環境の中で、関心を持ち続けたいと思うことは何か。
私は、自動車に対して非常に興味がある。まず、実際に購入してもいないのに、「あれに乗ったら、次はどの車種に乗ろうか」と常に妄想しているほど、車好きである。(しかし、我ながらフライングもいいところだろうか……)。
現代の自動車メーカーは、環境問題に対して無関心であることは許されず、それを確実に視野に入れていると思われる。何故ならば、世の中にはレギュラー、ハイオク、軽油といった3種類の燃料ガソリンが主流だが、その他にも、「燃料電池仕様車」「ハイブリッドカー」などと多種多様な車種が存在している。
まず、燃料電池車とはどのようなものだろうか。それは、水素と酸素を化学反応させて電気エネルギーを直接取出し、排出物は純粋な水、という非常に効率が良く、クリーンな動力源を持つ自動車であることがわかった。(※上記に純粋な水、とあるがさすがに飲料水にはならないだろう)。
次に、ハイブリッドカーに着目してみよう。ハイブリッドカーは100%環境に害を与えない、とまではいかないが、環境に優しい自動車であることには変わりは無い。ハイブリッドカーは電気モーターとガソリンを併用して作動する自動車である。これならば普段の排気量を半減させることが可能になる。しかし、その代償とも言うべく、普段の馬力より多少低下してしまうが、環境へ視野を入れてみれば、そう贅沢を言っている場合ではないだろう。
環境に優しい自動車はそれだけではない。「超、優、良―低排出ガス」も目を見張るものがある。その代表的な自動車は様々だが、「リッター23キロ」を誇るホンダのフィットは群を抜いていると言っても過言ではない。しかし、それらの自動車は、最近開発されたばかりであり、国内の自動車全てが環境にやさしいわけではないことを予め指摘しておきたい。
しかし、音や速度を重視する私にとっては、環境ばかりに気をとられている昨今の自動車ディーラーに対して不満を持っているのも事実だ。私から見れば、若者をターゲットにした車種を新たに開発してほしい、と切望している。勿論、環境問題に対してもお見逃しなく。
次に述べるのは、架空の話しであるが、仮にスカイラインGT―R(R34)を購入したとしよう。いくらGT−Rとは言え、環境問題に対して協力することは、可能だ。大きいマフラーの割には静かな音を実現できるものが普通に市販されているし、信号機で止まってもアイドリングストップするなど、これはさすがに度胸のいる行為だが、やる価値は十分あるのではないだろうか。
つまり私が言いたいのは、環境問題に車種は関係なく、私たち人類が環境問題に対して意識し、それに基づいて行動できるか、ということだ。いくら環境にやさしい車種に乗っていても、私たちが行動しなければ、解決できる問題も不可能となるのではないだろうか。そう考えてみると、地球の明暗を握っているのは、私たち人類に懸かっている、と言っても過言ではないだろう。
私はあと1年余りでこの長野大学を去ることになるが、上記の考えをパソコンの中に保存しておくのは実にもったいない。だから、社会人になってもしばらくは学生気分を忘れずに、たまにはこれらの案を真面目なつもりで、上司の方に提出してみよう、と私は考えている。
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星野リゾートと里山の活用
中島 佑介
1)森林整備パートナーシップへの参加
今年の長島ゼミのテーマは「里山について考える」ということでした。あまりなじみのない里山という言葉、僕もこのゼミで学ぶまで聞いたことがない言葉でした。簡単にいうと、人里近くにある生活に結びついた山という意味です。その里山が今、大変なことになっています。
里山から燃料となる薪や、肥料となる落ち葉などを確保したりして地域住民とうまく共生していたのは、もうはるか昔の話。現在はもう誰も山に入らず、だれも手を加えず、ほったらかしの状態が続いています。これをなんとかしようと、つまり「里山再生」について一年間考えてきました。
ゼミの主な活動として、長野大学の裏にある東山で「森林整備パートナーシップ」に参加し、自然を愛する多くの方々と共に一緒に作業して、非常に有意義な時間を過ごすことができました。それまで、授業で何回も危機に面しているといわれても、ピンと来なかったのは、まったく里山に入る機会がなく、実際に、真剣に見ることがなかったからです。
数年ぶりに里山に入り、一目見た瞬間、ピンと来ました。「これはまずい」と。このことは誰の目で見ても明らかで、すぐわかることです。お世辞にもきれいなんて言えません。これが山の一部分だけでなく、全体で、さらに日本中、世界中でおこっているのが現状です。世界中の人々の、里山という身近な場所でおこっている大問題ということに反して、意外なほど、いい解決方法がないというのも問題になっています。ゼミで参考にした『里山再生』というテキストの著者、田中淳夫氏も様々なアイディアを提唱しています。そのアイディアは大きく2つに分けることができ、おもいきって里山をゴルフ場や、テーマパークに変えてしまおうという考え方と、本来の里山を取り戻そうという考え方に分けられます。僕はどちらかというと後者に賛成です。
たしかに誰も入りたがらない里山をゴルフ場やテーマパークなどに変えれば地域住民も喜ぶことでしょう。しかしそれはちょっと違うと思います。地域住民と共生しているから里山なのであって、それらを作った里山は共生していない、つまり里山とは呼べない気がします。しかし、本来の里山を取り戻そうという考え方、こっちの方がはるかに難しく、時間のかかる問題です。
里山の衰退した理由は様々ありますが、農林業の衰退や、ガスなどの普及などが考えられています。それは近代化によって、しかたなくではなく、自然にそうなったということです。だからもう昔のような里山、地域住民と共生している里山には戻ることは難しいのです。実際に日本の農林業は以前と比べてかなり衰退していて、もう以前のように栄えることは、ほぼ不可能といえるでしょう。だから本来の里山の復活と、そっくりとはいかないですが、新しい里山をつくるといった方向に進んでいけばいいと思います。それにはゴルフ場やテーマパークの建設なども認めていくしかありません。多くの人に里山の現状を知ってもらうのが最優先で、一番大事なことだと思うからです。
現実は悲しいことだけでなく、うれしいことに、最近、日本の木材や木炭のすばらしさを見直そうといったブームが到来しています。それに森林セラピーなどの効果にも注目が集まっていて、里山の将来は必ずしも真っ暗ではないと思いました。森林整備パートナーシップでは不要樹の伐採や、桜の苗を植えたりしました。東山に入ったら本当に癒されましたし、気持ちよかったです。
2)里山・森林整備に関わるグループ紹介
──「星野リゾート」
星野リゾートは長野県軽井沢にある。環境問題について深く考え、最善の方法を実行し、結果を出している全国でも珍しいリゾートである。このリゾートのすごいところは、個人やグループではなく従業員全員はもちろんアルバイトでさえ環境問題について真剣に取り組み実践しているところだろう。そのため定期的に環境問題について勉強会や研修会を行っているので、従業員の知識はそこらへんの大学生とでは比べようもない。
このように、全員で同じ目標を持ち進んでいれば結果が付いてくるのはあたりまえで、近年このリゾートは全国的に見てもすごい結果を出している。そのため全国各地の環境問題に興味のある方々から支持され大繁盛だとか。僕もリゾートの事をはじめて知ったときは、やりすぎではないかとも思った、けれど参考にすることもたくさんあり、かなり驚かされた。どんなことを実践しているかは、以下のとおりである。
@.ゼロエミッション
エミッションとは排出物のこと。つまり将来的には排出物(可燃、埋め立てごみ)をなくし資源ごみだけにするという活動のことである。とりあえず結果から言うと、2002年度は排出物:資源ごみの割合は65%:35%と数字だけ見るとたいしたことないかもしれないが、実際自分の生活や普通の企業の出すごみに比べるとかなり立派な数字だということがわかる。こんな結果が出たのも星野リゾートではRefuse(違う方法を発想)、Reduce(効率を高め無駄を無くす)、Reuse(再利用)、Recycleという4つの基本概念を忠実に徹底して実践している結果だろう。
今後の目標として2006年度までに資源化100%を目指すというが、その域まで達するには従業員だけでなく、お客一人一人の完璧な協力が必要となってくるだけにかなり難しいとも思うが、がんばってもらいたい。ゼロエミッションの具体的な内容としてごみの分別の徹底はもちろんのこと、食べるものにも気を使い、生ごみの削減、ワインを樽から提供することによってのワインびんの削減、ペーパーレス活動(電子FAXの使用や情報システムの徹底により無駄な紙を減らす活動)などがある。これにより年間生ごみ25%削減、ワインびん6000本削減、無駄な紙16000枚を削減することに成功している。環境のためなら多少の不憫さは我慢するという姿勢はすばらしく、多くの人々に学んでほしいことだ。
もちろんリサイクルも徹底しており、ここでは使い捨てという概念はなく、使ったものは必ず再利用かリサイクルされるしくみであり、出るごみのほとんどが生ごみである。これがなかなか減らなくて困っている様子。さらに今後はCO2削減にも取り組んでいくようで日々研究し努力しているそうである。ちなみに星野リゾートは昭和4年から敷地内の湯川を利用して水力発電をしている。
A.エコツーリズム
エコツーリズムとは、ありのままの自然を楽しみながら豊かな環境を維持、再生していく活動のことであり、何も知らない人々に里山に入ってもらって、現在里山はどうなっているかを、肌で感じてもらうのが一番の目的である。これは環境問題を扱う上でとても大切なことであり、現在の里山の悲惨さを目の当たりにした人々が、少しでも問題に興味をもってくれれば、またそのような人が増えれば増えるほどいいアイデアが浮かぶはずであり、そうなれば先は明るくなるはずだ。
主な活動として、ピッキオ(軽井沢の環境保護団体)の活動や、毎朝行っているバードウォッチング、森林整備ボランティア、星野自然教室(自然の勉強をしたり山での遊び方などを教えてくれる)などがあり、どれも人気を博している。現代人は忙しくあまり自然と接する機会がないというこのことが、一番自然との仲を悪くしていると思う。一度も山に入ったことのない大人もいるとか。一度でも自然に触れてみれば自然のすばらしさ、美しさが必ずわかるといういい機会だと思う。
今日の里山の状況は本当に危機的であり、誰でもその辺の山に入ってみれば「これはまずい」と感じるほどに深刻な問題である。現在、様々な活動が行われているが、圧倒的に人手が足りないのが現状で、その程度の活動(100人程度の森林整備ボランティア等)では正直言って気休め程度で何も変わらない。
やはり人を集めるの今後の一番のポイントであり、一番難しい課題である。このような問題に真剣に取り組み、里山再生できるようなアイディアがひらめけば、楽にプール付の豪邸が建つだろう。ノーベル賞物だ。しかしいくら考えてもなかなかでてこない。せめて山がお金になればいいのだが、山の価値は下がる一方である。この問題は日本全国の山が死んでしまってから人々が泣き出すのが先か、ノーベル賞受賞者が出るのが先かと二者択一しかないと思っている。だからより多くの人を集め、里山のことを知ってもらおう。ノーベル賞受賞者を出すために。
B.SOBO
SOBOとはSmall Office Besso Officeの略で、簡単に説明すると別荘の年間利用を支援したり、日本全国の人々に軽井沢のことを知ってもらおうという、お金持ち相手の活動のこと。自分の別荘で本格シェフの料理を楽しんだり、別荘の清掃サービスなどをしている。ちなみに日本一のソムリエが伺うそうだ。この活動は星野リゾート内だけではなく、軽井沢の環境やライフスタイルの価値観を共有することを目的としている。別荘を建てる際の省エネルギー化や、自然との共生を持たせた建築デザインの提案などもしている。全国的に見ても何であんなに軽井沢は有名なのか、何であんなに別荘があるのか、軽井沢の何がすばらしいのかきっと教えてくれるはずだと思う。
C.感想・意見
まず思ったことは、星野リゾートは口だけではなく、実際に結果を出していることがすごいと思いました。ごみ問題についても環境問題についても一見簡単そうに見えて、じつはとても難しい問題なのに、しっかりと考えちゃんと結果を出しているのに驚かされました。このようなリゾートが出てきたのは革命的であり、話題性も抜群です。星野リゾートの成功につられて同じようなリゾートは次々と誕生するでしょう。とてもいいことだと思います。
それは話題性があるから、人が集まるから、儲かりそうだから真似しよう、理由は何だっていいと思います。実際に行動すること、やってみることが大切です。人々がごみ問題と環境問題について消極的なのは、やはりお金にならないからでしょう。星野リゾートのように間接的にはお金は入ってきますが、直接的に、例えばごみを分別したり森林整備をしたりしただけでは1円にもなりません。例えば林業の衰退も痛い理由のひとつ。日本は裕福すぎる国になったため、使い捨て精神や物があふれてしまっているのも原因のひとつでしょう。世界にはごみがお金になる国だっていくらでもあるはずです。
と、えらそうに書いてみましたが、そんな国では自分のことに精一杯で他のことが考えられないでしょうから、やはりある程度、裕福な国ではないと扱えない問題でしょう。先進国が積極的に取り組み見本を見せるべきです。環境をめぐる社会問題の原因はたくさんありすぎ書ききれません。ならば解決する方法も、書ききれないぐらいたくさんあるのではないかとも思えてきます。いいアイディアが浮かびません。やはり一番の近道は、前にも書いたが、人を集めることだと思います。個人や家族、会社や学校単位でちまちま活動しても何も変わらない、ただ偽善者ぶっているだけです。本当に環境を、地球を守りたいなら、国民全員が一丸となって、ましてや世界が一丸となって行動するぐらいではないと、なかなか改善できない大問題だと思います。
3)この一年を振り返って
@.夏合宿を振り返って
最近、日本では森林療法に注目が集まっている。森林療法とは、ただ森に入っているだけで、ストレス解消や、自閉症、ノイローゼに効くというもので、その効果は医学的にも認められている。普段森に入る機会など皆無だったのであまり信じていなかったが、ゼミの合宿で峰の原高原のペンションに行き、帰ってくる時にはもう信じていました。
周りは大森林に囲まれ、静かで、とても居心地がよく、なんと空気のうまいことか。マイナスイオンに包まれながらゼミを行ったので、いつもよりスイスイ進み、あっという間に二日がたっていました。特に印象に残っているのは、ゼミではなく、みんなと一緒に、お酒を飲みながら、くだらない話をしたことです。普段の授業中ではみんな真剣に考えているのですが、この時ばかりは、みんなバカになって盛り上がり、とてもおもしろかったです。
A.環境問題に対する意識が、ゼミを通じてどのように変化したか
このゼミに入るまで環境問題についてあまり興味がなかったし、深く考えたことはありませんでした。環境問題なんて単純で簡単に解決できるとまで思っていましたが、ゼミで学んでいくうちに、とても複雑で難しい問題だということがわかりました。一年間学んだ今では、複雑で難しいというレベルでもなく、人間がこの世に存在する限り永遠に続く答えのない問題だという気がします。
たとえばある授業で、人間がいるから環境が破壊されるんだ、ならばだれも手を加えずほったらかしにしておけば自然はかってに元に戻るんじゃないか、だって人間が誕生するまでそうやってうまくやってきたんじゃないか、というテーマがありました。これもすごく難しい問題で、一年たった今でも答えは出ませんでした。僕の考えとしては、人間が自分の利便性のために、かつて環境を破壊し続けたのだから、できるだけ、すこしでも手は加えたほうがいいと思います。しかし里山の問題については、本当にいいアイディアがないので困っています。
手を加えるといって、多くの人たちを里山に集めても何も変わりませんし、よけいに汚れるという気さえします。だからといって、ほったらかしにしておいても、里山にはもう以前のような力がありませんし、元に戻るのかどうか。やはり答えは出ませんでした。だから、何度も書いていますが、多くの人に里山の現状、環境問題について知ってもらうのがなによりも大事なことだと感じました。人間は地球上に60億人もいるんだから、一人くらいは想像も付かないすごい天才がいるはずです。
B.関心を持ち続けたいこと
人々が参加できる身近な環境問題の中で、一番簡単なのは、ごみの問題だと思います。それは一人一人がきちんと考えて行動すれば成果が出るからです。ごみの問題は、里山の問題や、ほかの環境問題といった、答えのない問題と違って、答えは簡単だから助かります。星野リゾートを参考にして、なるべくごみを出さないように、出すときはきちんと分別して、これからはずっと気をつけて生きたいということに気づきました。
このゼミに入った理由は特に環境問題に関心があったからでもなく,先生で選んだわけでもなく、ただ適当に選んで入りました。最初は、ゼミなど適当にやっていればいいやと思っていましたが、今では心底このゼミでよかったと思っています。毎回みんなと考え合い、話し合っていくうちに、真剣に考えることの大切さや、すばらしさを教えてもらった気がします。このことは大学を出ても、一生大事にしていきたいです。このレポートはかなり生意気に書いてしまいましたが、あいつは普段あんな馬鹿なことを考えているのかと、鼻で軽く笑いながら見てやってください。
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「にっぽんこどものじゃんぐる」を調査して
勅使川原 弘晶
1)ホームページに見る『にっぽんこどものじゃんぐる』
★にっぽんこどものじゃんぐるとは?
にっぽんこどものじゃんぐるとは、1989年6月に長野県須坂市の峰の原高原でペンョンの経営をする女性、福永一美さんを中心として発足したNGOである。
<にっぽんこどものじゃんぐるは、1989年の設立以来コスタリカの熱帯林を守る活動の支援をしている>
NGOとは、『国家』の枠にこだわらず『地球』や『地域』を優先として考える非営利の組織である。地球環境問題に対処する際、各国政府は、自国の利益を第一に考えざるをえない。しかし、NGOは、人類全体、そして生態系を含めた地球全体の利益を考えての行動ができる。代表的な団体として、野生動物の保護に取り組む『世界自然保護基金』や広く環境保護を訴える『グリンピース』がある。
★ じゃんぐるの会員数は?
会員のうち継続性があるのは、峰の原に住む五人の母親達で、子供の会員は、毎年新学期に地元の菅平小学校で募集をし、それに応じた20〜30人で構成されている。子供達の多くは峰の原のペンションの子供達である。中学生もいるが、近くに高校がないので、高校生になると会から卒業せざるをえない。
大体の役割は、大人5人で分担しているが、会の運営はすべて合議制で行われる。大人たちの本業であるペンション経営や子供達の日常生活に、差し支えない範囲での活動が原則になっている。冬のスキーシーズン等の、観光客の多い時期は、会の活動は休止される。
★じゃんぐる発足のきっかけ
じゃんぐるの発足のきっかけは、1988年に信濃毎日新聞に掲載されたスウェーデンの少年オマール君の記事であった。
メキシコで熱帯林を守るためにたった一人で立ち上がった少年オマール君と、彼の活動に共鳴し彼を支援しようと熱帯林の保護活動をはじめたスウェーデンの子供たちが紹介されていた。子供たちはメキシコの大統領や役人に「私たちの森をとらないで」と訴えかけ、彼の活動を支援する募金を集めている。その記事を読んだ福永一美さんと息子の二郎君が、日本でも何かできないものかと1989年にオマール君を支援しはじめる。
★じゃんぐるの国内活動・運動
1.熱帯林保護運動を自分たちの身近な問題として考えようと、国産材学校家具の開発、導入運動、教科書の再生紙使用運動に取り組んでいる。これらには、熱帯ベニヤ材の削減や、国内林業の振興、補修可能なことによる省資源、省ゴミ、環境問題を学校で考える幅広い教材になる等の利点をあげて長野県下の教育委員会や森林組合に働きかけ、実際に協力業者を得て、試作品を作ってアピールするなどの、粘り強い活動を行っている。
2.峰の原や北信濃の恵まれた自然環境を活かした、自然教育活動や文化活動を行っている。
★支援活動の内容
1.寄付金、空き缶回収、バザーの収益金を現地NGOへ送金
「じゃんぐる」には、全国から寄付金が寄せられている。寄付金の20%は、「じゃんぐる」の運営費になり、残りの80%すべて現地に送られて熱帯林の保全活動に使われている。じゃんぐるメンバーによる空き缶回収やバザーによる収益金も現地に送金されている。アルミ缶等の回収は、観光地の清掃、リサイクル、資金集めの一石三鳥の企画として、発足当時から続けられているが、これらの、資源の単価の低落が悩みの種である。しかし、観光協会主催のイベント会場で、出店による会の宣伝と資金集めを行っている。
その他、Tシャツ、トレーナー、組み木などのオリジナルグッズを、会員や協力のえられるペンションや商店街で販売し収益を会の資金や、現地への送金に回している。1993年の夏までに、コスタリカに230万円、タイに24万円を送金している。なお、じゃんぐるは、コスタリカに57ヘクタールの『日本の子供達の森』を確保しているが、その資金の4分の3は全国からの寄付金によっている。
2.現地の見学・意見交換・スタディーツ アー
年に一度程度のペースで、大人のメンバーが中心になり現地の植林事業の視察や、地元スタッフや子供たちとの交流を行ってきた。お金のやりとりだけの関係ではなく、コスタリカの大人と子供を対象に熱帯林を守るための知恵や熱意を分かち合うための教室をひらき、日本の文化を紹介するために、折り紙作家にも同行してもらい日本の文化を教える、などを行ってきた。
3.コスタリカにおける運動
コスタリカにおける運動の中心は、熱帯林の購入から熱帯林の保全地元での教育活動に移り日本からの送金の使途もそれに応じて変化してきている。その他最近では、じゃんぐるが申請窓口になり、タイの熱帯林保護のための環境事業団の援助を引き出すことにも成功している。
4.日本の助成団体より支援をうけて支援
総務省ボランティア貯金、経団連自然保護基金、地球環境基金、緑の募金、イオン環境財団などから支援を受けて、植林事業 や機材支援を行っている。
★コスタリカについて
1.コスタリカという国
中央アメリカに位置するコスタリカは、中米の楽園とも花園とも呼ばれる自然が美しい国である。国土面積は、日本のおよそ7分の1であるが、50万あまりの生物種が生息していると言われている。
コスタリカでは、国土の4分の1が国立公園、保全エリア、プライベートの自然保護区に指定されている。こういった手厚い保護政策の裏には、過去に急激な環境破壊の現実があったからである。1500年代には国土の99.8%を覆っていたと言われている原生林が、1983年には17%にまで減少してしまった。特に1960年代には多くの森林が伐採され、肉牛のための放牧地にされてしまった。牛肉価格の下落とともに牧畜業も衰退し、今では放置されている放牧地が広くみられる。
また木材の伐り出しや農耕地の開墾による、保護地以外の場所では依然として森林減少が続いている。地域によっては森林消失による土壌の流失や劣化、絶滅危惧種の生息場所の悪化という問題が生じている。
こうしたマイナスの面があっても、コスタリカは、生き物たちが様々な顔を見せてくれる楽園である。『熱帯林の生物多様性を資源として生かす』という発想が、コスタリカを環境保全の先進国にしている。
★ホームページで調査しての感想
自分の住んでいるすぐ近くの峰の原にNGOの団体があったなんて思わなかった。その団体の代表者が女性であるということにも驚いた。その団体は、日本だけではなく、コスタリカという国にも支援していて国際的な活動を行っているということにも驚かされた。同じ長野県に住んでいてこんなに良い団体を知らなかったことに対して、なんで知らないのか考えてみると、自分の知識不足があげられると思う。
日本の環境の変化について前から興味を持っていたが、この団体について調べていくうちに、日本だけではなく地球全体を改善していく必要があると考えるようになった。そのためには、やはり日本国内の環境を整えてから国外について考えるべきだとも考えられた。
自分の住む町を見ると、四方を山に囲まれていて自然は豊かだと思うが、なにも手を加えられていない山が多数だと思う。山だけではなく川も自然の姿にもどすのが一番良いと私は考えている。すぐ近くに千曲川が流れているが両側にコンクリートで固められ自然とは関係なく人間の都合の良いように堤防を作るのもどうかと思う。堤防はあるべきだが、必要最低限の工事だけでよいと思う。堤防があれば多少ではあるが都会的になったような気はするが、田舎っぽい風景のほうが自然には良いに決まっている、川に住む生き物もコンクリートで固められた川では住みにくい環境であることには間違いないと思う。
私だけがこう思っているはずではないと思う。実際、私だけがそう思うだけならこういった団体ができるはずがないと思う。人が一人立ち上がっただけでは何にもできないが同じ事を考えている人が集まれば環境についても人間関係も良い方向に進むと思う。
実際この団体も、中心に活動している人たちは、わずか5人という少ない人数で活動しているが、環境についても慎重に考えているし、人間関係も良いと思う。私はこの団体を調べて最終的に思ったのは、まわりの環境によって人間は性格を形成するのではないかということだ。
代表者の方も『頭を使うことよりも、体を使うこと、自分で感じ取ること』が大切と言っていた。まったくその通りだと思った、部屋の中で平凡な生活をしていたら外の環境の変化にも気がつかず自然とは縁の薄い生活になってしまい生活の知恵や、心の成長もうまくいかないと思う。だからもっともっと人が自然と共存していく必要である。せっかくある環境をうまく利用して小さいうちから森に入り自然を体いっぱいに浴びて成長していくのが一番良いと私は思った。
2)この一年を振り返って
1.夏合宿
ゼミの合宿で峰の原のペンションに勉強会を行った。実はこれまで紹介してきた『じゃんぐる』の代表者、福永一美さんが経営しているペンションである。合宿の時には、まさか自分が行ったペンションについて調べる事になるとは思ってもみなかった。
それはともかく、実にペンションの周りは素晴らしい環境であることに感動した。ゼミの仲間みんなでワイワイおしかけて行く場所ではないような気がしないでもないが、楽しく学習できたので良かったと思う。いつもと同じ教科書、先生、仲間なのに、いつもと違った緊張感もあり充実した時間を過ごせたと思う。
普通ならば夏合宿と言えばほんらい勉強しに行くのだが、私の場合は、勉強よりその後の飲み会の方が楽しみだったかもしれない。もちろん勉強には本腰をいれたが。いつも飲む仲間とは違う仲間と身近な話をしたり、先生と楽しく話したり真剣に人生について語ったり面白いクイズをやったりして夜遅くまで盛り上がった。
この合宿をとおして先生と学生の距離、学生と学生の距離がより近くなったと思う。これは、お酒の力もあるかもしれないが、私はお酒の力だけではなく外の環境にも影響をうけているに違いないと合宿から帰って来てから気がついた。家に帰って『じゃんぐる』について調べていくうちに面白い事が書いてあった。NPOとは、〔なんと 強引な おばちゃんたち〕と書いてあった。真面目なことばかり書いているのではなく、ホームページに冗談もまじえて書いていたので笑ってしまった。先に知っていたら福永さんに面白かったって伝えたかった。なんだかんだ言っても、とても良い合宿になったと思う。今度は違う季節にみんなで、もしくは少人数でゆっくりと行きたいと思えるぐらい素晴らしいペンション、素晴らし夏合宿であった。
2.環境問題に対する意識が、ゼミを通じてどのように変化したか
★環境問題に対する意識
環境に対する意識はゼミを通してより深く考えるようになった。上田の周りにある、山に関しても関心の持ち方もがらりと変わった。長野大学のすぐ裏の山でさえ何も有効利用されていないという事実にも疑問を感じる。自分一人が環境を変えようとしても無理だという事がわかった。一人一人ができることを確実にしていけば環境も徐々に改善していくと思う。
ゼミを受講していると、人がそんなに山に入らなくなっているという事実に気づき、残念で仕方なかった。私が小さい頃は、良く森の中や、川を探検したものだ。その時、埼玉のある小さい川で友達と遊んでいたら、川辺の草むらの中に注射器の針、薬のビン、薬の入ったままの袋などのゴミが、山のように積み上げてあった。
今考えるとあれは不法投棄された医療で出た産業廃棄物で、とても危険な物が放置してあったのだと思うとぞっとする。長野大学の裏の山にも、不法投棄した学生がいたらしいがやってはいけないことをしてしまった、と後悔をずっとしてもらいたい。裏の山も活用次第では宝になると授業で学んだ。これからの裏山の活用に注目していきたいと思った。
★身近な環境の中で、残りの学生生活・社会人になってから関心を持ちつづけたい事
やはり環境についてはこれからも、ずっと興味・関心を持ちつづけたい。山もそうだが川についても考えていきたい。小さな魚から大きな魚まで住める川にする必要があると考える。川の中での生態系は人間が崩さなければうまく保たれていたに違いない。それを、人間は川岸をコンクリートで固めてしまい流れが急になり、小さい魚が住めなくなりそれを餌にする魚たちもいなくなる。
悪循環の繰り返しがずっと続いてしまう。これをどうにか改善していけるような環境を第一に考えた事業案をしっかりと立てて、自然と一体になって共存していける環境を築き上げる必要があると考えた。個人的に私は釣りが好きなので、自然に山の中に入っていってもなんとも思わないし、危険もあまり感じない。釣りの楽しさや、山の楽しさ、川の流れの美しさをいつまでも見ていられるような環境を作るために、とりあえず上田市からきれいにしていきたいと思う。
いつまでもきれいなものは、きれいなままで残しておきたいと思う。 最後に長島ゼミを受講していろいろ勉強になった。すべての授業がこういう授業なら環境を壊す人はいなくなると思う。
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ピッキオ(Picchio)のことなど
佐野 大輔
1)山梨県南部町の里山整備活動
私は、森林整備パートナーシップ事業に参加していないので、ここでは地元での整備活動に参加したことを記載したい。
私の実家は山梨県の最南端に位置する南部町という町である。その中でも井出という地区になるのだが、その地区の約70%が森林や斜面である。つまり、山にへばりついた地区で一般に田舎と呼ばれる典型的な土地である。自然も数多く残っており、野生動物がいたるところに姿を見せている。猿から始まり、ウサギ、猪、鹿、狸、ハクビシン、熊などが出没し、いわば「檻のない動物園」である。 そんな自然溢れる所でも人間が生活していくのには何かと自然に対して手を加えていかなければいけないのである。
すでに述べたとおり、地区の半分以上が森林もしくは斜面となっているので、地区の人たちにとって、山はなくてはならないものとなっている。山に畑があったり、神社があったりと、山と隣り合わせの生活をしているのである。
そんな生活の一部となっている山に向かう道作りは、とても重要な作業である。私の家が建っている山から貯水槽がある山までの間に、数多くの人たちが畑を所有しており、その多くがお茶畑であるため、機械や車などが入れる道を確保しなければならない。そのため、半年に1回程度のペースで地区の人たちによる「道作り」という名の整備活動が行われている(大学に入学後はあまり出ていないので現在行っているのか不明)。私も小学生の頃より父親が仕事のときには代わりに、弟とたまに出ているが、日曜日の早朝とあってやる気なく出ていた。しかし、中学生頃になると、道があることのありがたさや、道を作ることの大変さが分かり始めた。そして、この長島専門ゼミナールに入って勉強していくうちに、実家の山は里山であることに気がついたのである。
その理由として「里山とは、人工林であることと、人間の手入れがされていることが当てはまる」(田中淳夫『里山再生』洋泉社、2003年、pp.18〜19)と記載されていたのである。それまで私は、山は自然にできたもので、そこに人間が住んでいたとしても自然の山ではないと思っていた。しかし、田中淳夫氏は「里山は二次的自然だ」(同前、p.19)と記しており、私は、なるほど確かにその通りだと同じ気持ちになったのである。
私は大学卒業後、地元に帰り、そこに暮らすことになっているのだが、この長島専門ゼミナールで学んだ自然を大切にする気持ちをほかの人たちにも伝えながら生きたいと思う。
2)里山・森林整備に関わるグループ紹介
星野リゾート ピッキオ(Picchio)
1.ピッキオとは
ピッキオ(Picchio)とは、イタリア語で「キツツキ」の意味である。キツツキは木に穴を掘って巣を作り、木を食べる虫や木の実を餌にしている森の鳥である。「森に棲む生き物たちの視点から、森について、自然について多くの人々に伝えていこう」、そんな思いからこの名前が付けられた。また、ピッキオにはロゴマークがあり(下記参照)、その意味は宇宙に浮かぶ地球と、そこに暮らす生命を代表して花と木の実、鳥が描かれている。鳥などの動物が植物の花粉や種子を運び、そのような生き物同士のつながりが複雑に絡み合って自然は成り立っている。私たちもそんな自然の一員であり、その視線から地球の自然を見つけて行こうという想いが込められているのである。
2.趣旨と活動概要・規模
ピッキオは、軽井沢や浅間山麓を中心に、野生動植物の調査や研究、それらの専門的な知識を活かした自然に関するガイドやイベントを行っている。また、浅間山麓の生態系を保全する活動も実践している。科学的な視点と生命への共感を持って活動を発展させ、「森の本来の姿を経済的な価値として高く評価できれば未来に森を残してゆける」という信念のもと、森のおもしろさや楽しさ、大切さを人々に伝える活動を、この日本でも事業として確立しようとしている。これがピッキオの趣旨、活動概要である。
また現在(2003年度)ピッキオでは、正社員15名、実習生4名、パート・長期アルバイト7名、調査員1名で構成、上述の運営を行っている。
3.活動内容
ピッキオの活動内容は、以下の3点に分かれている。
@)自然を紹介する活動
ここでは、様々な動植物の生活にとことん迫るイベントを提供し、それによって生き物がつながりあっている森の仕組みや素晴らしさを伝えてゆくことを行っている。従来の自然観察会にありがちな、勉強会的なスタイルではなくて、エンターテイメント的な要素、つまりワクワクするような楽しさを演出することも重視したイベントを開催している。
具体例として、幼稚園から大学までの環境教育プログラムの提供、野生動植物や生態系を深く理解するための国内各地における催し等を行っている。また、専門的な内容をわかりやすく、それでいて楽しく表現した観察図鑑『鳥のおもしろ私生活』『虫のおもしろ私生活』『花のおもしろフィールド図鑑』などの出版活動にも力を入れている。その他にも、野鳥の森ネイチャーウォッチング、プライベートバードウォッチング、雪国ならではのイベントスキーツアーやスノーシューウォークツアーなどのイベントがある。
A)研究活動
研究活動としては、上記した各種イベントや環境教育を行うために、スタッフ自身が学術研究の最前線の知識を得たり、周辺の森についてリアルタイムな情報を把握する調査研究を行っている。また、研究活動の時間を確保することによって、より興味深い視点と専門性の高い知識・情報を様々な活動に活かし、イベントの価値をより高めようと考え活動している。
B)地域の生態系を保全する活動
ここでは、軽井沢周辺の動植物の基礎調査とともに、人と野生動植物との共存に向けた実践活動を行っている。
例えば、1998年より、ゴミに餌付いたツキノワグマの捕獲、追跡調査やゴミ箱からの追い払いなどの活動を行っている。また、サクラソウの保全に向けた研究を環境省、東京大学と共に続けている。そして上記のような自然を紹介する活動や研究活動を軽井沢の生態系の保全に結びつけてゆきたいと考えているのである。
以上3点がピッキオの活動内容である。ピッキオでは、これらの活動をボランティア活動としてではなく、プロの活動として行うことではじめて、より大きな進歩、発展を得ることができると考えているのである。ピッキオの活動の成功は、森の経済的価値を高めることになる。その結果として森を森として維持したまま利用することが、森をスキー場やゴルフ場として開発するよりも、環境の面はもちろんのこと、経済的にも価値の高い利用方法になると信じているのである。
C)感想
ピッキオは、星野リゾートの一環としてある組織である。しかし、その活動内容は星野グループの為だけにあるものではないと思った。軽井沢をはじめ、浅間山麓における環境教育の発展と普及、野生動植物の生態系の研究とその素晴らしさを多くの人々に教えることは、その地域のことだけではなく、他の地域にも良い刺激になるのではないかと思った。そして、各イベントに参加している人々も、日本全国から参加しており、その輪が広がって、多くの人々が自然に対して興味を持つようになることは大変良いことだと思った。
近年では、自然に対して興味を持つ人々が増加傾向にある。特に都会に住んでいる人々の増加傾向は、ここ最近になってから確実に増加している。その理由として、都会の人は疲れた心身を癒すため、または定年退職後に第2の人生を田舎で過ごそうと考えている人たちや、新しく何かを始めたい人たちが「何か」を求めて休日になると地方に出かけて行き、自然に入り、間伐や森林浴、農作業など様々な活動や体験を行っている。
形はどうあれ、自然に対して興味を持つことは良いことであると私は思う。自然に触れることで、大人は忘れていた大切なものを、子どもは自然の中で過ごす大切な時間を、見つけることができるのではないか。そして、自然の大切さを実感し、今後どのようにして自然を残していくのかという考えを持つことに繋がるのではないか、と私は思う。
なお、この文章における数字、活動は2003年12月15日付け星野リゾートホームページ(http://www.hoshinoresort.com/piccchio/)を参考にした。
3)この一年を振り返って
@)夏合宿に参加して
私は長島専門ゼミナールは今年で2年目である。そして、今年は4年生以上が私一人だということで寂しい感じでゼミに出席していた。そんな中、夏合宿の季節が来てしまい、どうしても去年の厳しい思い出が甦ってきてしまった。かなり憂鬱な気分になった。
自分の書いた原稿が、今年も書き直しを迫られるのかと思うと、夏合宿に行きたくないと尻込みするのは、経験者なら分かるはずだ。
しかし、行ってびっくり。今年の夏合宿は違った。3年生が多かったせいか、ゼミの内容を一通りに済ませると各自の就職観についての議論(ディベート)が始まった。話を聞いていると、さすがに3年生。自分のやりたい事を持っている者もいれば、何をやりたいのか分からない者まで人それぞれであった。
そんな中、唯一の4年生として私が意見を求められたときには、何かしらのアドバイスをしたと思うが覚えていない。今思うと夏合宿の思い出は、ゼミ本来の内容のことはあまりやってないような気がするのは気のせいであろうか。しかし、おかげで他のゼミ生とも喋れるようになったのはこの合宿のおかげである。
A)環境問題に対する意識が、ゼミを通じてどのように変化をしたか
環境問題を考えたときに、私の中で思うことは、森林伐採である。現在よく議論されている環境問題の大きな元となっているのは、森林伐採であると思うからだ。温暖化は二酸化炭素が増加したために起こったことだし、海面上昇も温暖化が原因である。ではなぜ二酸化炭素が増えたのかといえば、車の排気ガスに加えて、光合成を行う森林もしくは自然が破壊されているからではないであろうか。
ゼミで間伐について勉強したときに、山の木を法則に従って切るということが間伐であって、むやみに切っていないことを知った。それまでは、ただ単に切っているだけだと思ったのだが、間伐を行うことで強くて立派な樹木になることも知った。強くて、立派な樹木は、弱いものに比べて光合成もしっかり行っているのではないかと思う。そう考えたときに間伐の大切さ分かり、むやみに切ることの愚かさを知った。今後は、今以上に環境に対して考え続けていきたい。
B)身近な環境の中で、社会人になってから、関心を持ち続けたいと思うこと
ごく身近な環境に関心を持つことで、環境の大切さや尊さを、自分以外の人に広めていけるのではないかと思う。また、環境に対して興味を持ち続けることで、自分たちが住んでいる地域が今どのような状態なのかを、より深く理解できるのではないであろうか。
ともあれ、関心を持ち続けることは良いことであるから、そこから逃げることはできない。そしてその関心を、地域におけるコミュニケーションを通じて、もっと多くの人に広げていけばよいと思う。
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バイオマスについて考える
荻原 健一
1)東山(大学の裏山)で感じたこと
ゼミのテキストで取りあげた『里山再生』の中で、田中敦夫氏は、人が手を加えることが自然保護だと書いているが、私は、もっと多くの人が、この考えに賛同してほしいと思います(『里山再生』洋泉社、2003年、p.39)。
なぜかというと、多分、今の中年層や若年層の人達は、あまり里山に触れずに育ってきているので、里山や自然は人間が手を入れない方が良いと思っているのではないかと、考えられるからである。
もしこのまま時代が過ぎていけば、里山や自然は無くなってしまい、絶滅しなくてもすむはずの植物や小動物が絶滅して、手遅れになってから気づく人達で溢れかえるということになるのではないか。そうなってからでは遅い。したがって、里山や自然に人が手を入れることの大事さを知るべきだと思う。
また現代の新しい文明にばかり手を入れるのではなく、新しいものと一緒に、自然に対しても手を入れる大切さに気づいてほしい。人が手を加えることが自然保護だ、という田中氏の指摘は、大学の裏山(東山)の間伐作業を経験してみて、その通りだと実感した。
2)伊那谷森林バイオマス利用研究会
長野県には、森林や林業を真剣に考えるさまざまなグループがある。伊那谷森林バイオマス利用研究会も、その一つである。この研究会は、森林バイオマスに興味ガあり、森林から生まれる木質バイオマスの利用を考えることで、新たな関係を構築し、持続可能な循環型社会の形成を目指している。そのため、このテーマに興味を持つ幅広い人々の知識を終結し、伊那谷に最適な仕組みを研究する人々で運営されている。
@)バイオマスの意味
このことばは、生物資源と言い換えることができるが、もっとわかりやすく言い換えると、植物やその植物を食べる動物そのものと考えることができる。
そこで、バイオマスとは、農業や林業の副産物、家畜の糞尿、生ゴミまでさまざまなものを含んでいる。また、焚き火に使う薪などの木質もバイオマスに含まれる。天然ゴムやオリーブオイルなどもバイオマスに加えることができる。
産業革命のとき以降に、石炭や石油・天然ガスが発見され普及して、急速に文明が発展していった。そのときから、手間のかかるバイオマス・エネルギーは次第に利用されなくなった。それ以来、現在でも使われている石炭や石油、天然ガスは、とても使い勝手が良いので、このエネルギーはいつかは底をつき無くなってしまう。これらは、限られたエネルギーである。
また、便利さの反面、環境問題を引き起こす原因ともなっている。私たちの住んでいる日本では、石油などのエネルギー資源はほとんどなく、外国から輸入されています。そのため、日本はエネルギーの乏しい国だと言われているが、じつは本当はそうではない。
私達の住んでいる日本は、雨も多く、温暖な気候で、国土の60%が森林に覆われている。つまり、森林資源という非常に豊かなバイオマス資源を持っていることに気づくことが必要なのに、そのことに現在気づいていないことが問題なのである。
A)活動内容
伊那谷森林バイオマス利用研究会は定期的に会を開いている。その研究会に参加された多くの人達に、バイオマスエネルギーの素晴らしさを伝える活動を行っている。
主にその会では、バイオマスに関わっている人々を講師として呼んで、講習会なども開催しており、そのつど参加した人々に興味を持たれている。
講義の内容としては、自分達が今、バイオマスに対して何ができるか、上伊那の森林をめぐる状況、森林資源の利用状況、これからの課題、森林バイオマス利用の国内事情の慨観、世界の森林バイオマス利用の動向とペレット、最新ヨーロッパ・ストーブ事情(先進地はどう使っているか)、ペレット製造工場見学と地域活動などがある。また、バイオマス展という展示会も開催しており、今まで、このような会は10回にのぼっている。
また、森林バイオマス利用に関する情報収集と発信・提供も行っている。「伊那谷森林バイオマス通信」というのがそれである。内容は、講習会の内容、会の運営状況、今後の課題、講習会の参加者の声などが含まれる。
B)現在の会員数
現在登録している会員数は79名(昨年、6月12日現在)である。
C)感想
この伊那谷森林バイオマス利用研究会を調べてみて思ったことは、今住んでいる長野県という土地は、とても自然に恵まれていて、バイオマスの研究に向いている土地であるということである。そしてまだ多くの人達は、このバイオマスというものの存在に、余り興味を持っていないことにも気づいた。
今の上田市を見ればわかることだが、これだけ多くの自然に恵まれた環境なのに、発展都市に追いつくために、この自然を破壊して新しい住居や道をつくり続けている。たしかに、自分達が住み良い環境にするために、新しいものをつくるのは大切かもしれない。しかし、その壊れていった自然は、もしかしたら、自分達が後にバイオマスを利用するときに、その新しいものよりももっと大切だったと気づくかもしれない。そのときになっては遅いので、今が、バイオマスについて市民が考えるときだと、強く思った。
3)この一年を振り返って
一年間を振り返って思い出すことはとても多くあります。そしてまた良い思い出にもなりました。
まず夏合宿のことから話したいと思います。夏合宿は峰の原で行いました。はじめ先生から夏合宿のことを聞いたとき、面倒くさい、行きたくないなど、あまり良い印象はしませんでした。わざわざ遠くにまで行ってゼミをしなくてもいいのにと思いながらも、合宿の場所に行ってみると、意外にも、とても自然に溢れていて、これまで一度も来たことがないのに、なぜかとても懐かしい気持ちになれる所でした。
現地に着いて、自分達の荷物を部屋に置いて少し疲れながらもゼミをしました。ダルイかんじはありましたが、なぜか教室でやっている時とはまた違う気持ちで、ゼミを受けることができました。そしてゼミが終わり夕食の時間になり、テーブルにならんでいる料理を見て驚きました。今まで見たことがない鍋料理がテーブルの真ん中に置いてありました。始めはとてつもない衝撃をを受けましたが、恐る恐る口に入れてみると皆が口をそろえて美味いと言いました。食べていると宿舎のおばさんが韓国だか中国の調味料を持ってきてくれ、その調味料を皿の上に乗っけて食べてみましたが、自分にはあまり合わなかったみたいで、それ以降、自分の皿の上には乗ることはありませんでした。回りの何人かはその調味料を入れていましたが。
そして夕食を食べ終わると、次ぎは飲み会でした。こちらに来るときにコンビニに寄って買ってきたお酒を、みんなでテーブルの上にならべてみんなが座席に着いたら、乾杯の合図で飲み会が始まりました。お酒を飲み始めると、皆のテンションが上がるのと同時に顔もほんのりと赤くなっていきました。そうすると普段は話さないような話が色々出てきました。自分の女の子の好みや、どうしたらもてるのかと、男だけのゼミであるからこそ出てくるような話ばかりでした。長島先生も世代を超えて、まるで自分達と同じ世代や友達のように話してくれました。長島ゼミに入った時も思ったのですが、先生と生徒の距離が、他のゼミに比べるととても近いと感じていたのですが、合宿の飲み会を通してさらに近くなれた気がしました。
そして飲み会が終盤に差し掛かってきたときに、マッチ棒を使ったゲームをしました。ゼミの時に合宿の話が出ると、まず始めにマッチ棒の話が出るぐらい盛り上がりました。他の人からみればただのマッチ棒かもしれませんが、自分達のゼミではとても大事な思い出の一つです。自分は友達とご飯を食べに行ったりしたときに、毎回、マッチ棒があると合宿で覚えたマッチ棒のマジックを友達に見せては自慢げにしています。
そして時間もあっという間に過ぎ、飲み会もお開きになり、皆が各自、部屋にもどりました。部屋に帰り、先生と煙草を吸っているときに何気なく撮った写真で、長島先生がまるで学生のような顔をして写っていました。そしてなぜか自分達の部屋には残ったお酒が置いてあり、自然とまだ飲み足りないメンバー何人かが自分達の部屋に来て、さっきの興奮がまだ冷めていないせいもあって、とんでもないぶっ飛んだような話を深夜まで話していました。
次の日の朝、朝食を食べてゼミをしました。その中で自分は将来、どのような仕事に就きたいか、と先生に聞かれた時に、自分は恥ずかしくなりました。端から聞いていくと、みんな本当に現実的な自分の将来を見据えていることを思い知らされました。普段は馬鹿なことをやったり話したりしていても、ちゃんとケジメを付けて、ふざけるときはふざけても、考えるときは考えて、ちゃんとやっているのだと。いかに自分は将来のことから逃げているのか気づきました。
アルバムを見ると、帰るときに撮った集合写真があるのですが、いつも思うのですが、本当にこの合宿に参加できて良かったと思います。
次に環境問題に対する意識が、ゼミを通じてどのように変化したかを、書き残しておきたいと思います。
このゼミを通じて意識し始めたのは、まずゴミのポイ捨てのことです。今まではそれほど意識していませんでした。しかし、授業を通して考えるようになりました。そのきっかけはあるとき、友達の車に乗ってドライブをしているときに、何気なく道を見ていたら、やたら無造作に、捨てられているゴミが目に付いたのです。そして土に決して戻ることのないビニール袋に包まれた多くのゴミがいたる所に散らばっていました。多分、ドライブしているときに、コンビニに寄って食べ物を買い、車の中にあると邪魔だからといって、ドライバーの勝手な都合によって捨てられたものだと思うと、やり場の無い怒りを感じたことをよく覚えています。
そして次に感じたことは、煙草の吸い殻の問題です。ほとんどの現代の若者は歩き煙草をしているとき、ほとんど道端に捨てていると思います。その証拠に道を歩いていると、いたるところに投げてあったり、足で踏み潰してあると思います。長島先生が煙草の吸い殻を携帯灰皿に捨てているのを見てから、自分も携帯灰皿を持つようになりました。煙草の吸い殻は吸っている人だけではなく、吸っていない人にも迷惑を懸けているのだから、少なくとも吸っている人は回りの迷惑にならない様にマナーを守って吸うべきだと、それ以来実行しています。
次に身近な環境の中で、残りの学生生活および社会人になってから、関心を持ち続けたいとおもうことを話したいと思います。
まず一つはさっき上げた煙草のことです。これからの世の中は喫煙者と吸わない人が共存して暮らしていける世の中になれば良いと思っているので、これからもずっと関心を持ち続け、また回りにも広げていきたいとおもいます。
最後に、すでに触れたバイオマスのことが気になっています。伊那谷森林バイオマス研究所のことを調べてみて、いろいろ考えさせられました。授業でそれぞれのホームページの担当を決めましたが、初めのうちは、バイオマスは難しいと聞いていたので、拒んでいました。しかし、調査していくうちに、だんだんバイオマスのことに真剣に考えている自分に気づきました。これも何かの縁なのかと思いました。今までゼミで勉強していたことが数多くホームページに乗っていて、思っていたより、難しくなく、また意外に自分の身近なことだということも、調査を進めるうちに気づきました。
バイオマス・エネルギーは、絶対に自分達の近い将来、石油や天然ガスの変わりに必要にされる時がきます。その時に、今までゼミでやってきたことを活かしていけたら、今よりは自然とうまく共存している世の中になっていると思いました。
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長島専門ゼミを一年間受講して
大島 和典
1)まず、今年の長島教授が受けもつ専門ゼミの講義テーマとして"里山"について議論する事になった。その理由の一つとして、長野大学の裏山(東山)が長野大学の卒業生の過失によって、山火事を起こしてしまった事が挙げられる。
その際に、上田市だけでなく近隣の消防局の方々まで出動すると言った大惨事になったのだ。卒業生の先輩たちは何を思ったのか、風の強い良く晴れた日に大学のすぐ裏にそびえ立つ東山のふもとで、いらなくなった雑誌類を焚き火程度に燃やしたかったらしいが、それが火種となり、みるみるうちにほぼ裏山全体を燃やしてしまう、という結果になってしまった。
こんな未熟者の私ですら、山のふもと、ましてや風の強い日に火を起こすとどうなる事が起こるか想像がつく。だが、その火事を起こしてしまった先輩たちは、そのことを知らないのであっただろうと言う事で、冒頭に述べた今回の長島ゼミのテーマの一つは、「今の若者は山を知らないのであろうか」ということになった。
まず、私たち長島ゼミは、講義中に実際に山に足を踏み入れてみようということで、山の感触、さらには山の景観、香りを体験するため向かった。だがそこは、山の景観、また香りなんてあったものではなく、山火事の荒々しさ、むごさを身をもって体験するものであった。木の幹は黒くこげ、葉はすべて焼け落ち、足元にはコケや茂み・ブッシュも無く、香りを楽しむなんて、とうてい無理なお話であった。
そもそも塩田平における自然というものは、春になると草木や桜、山桜の花々できれいに彩られ、夏になると春から育ってきた緑が生い茂り、秋になるとマツタケを中心とする豊富なきのこや生い茂っていた緑が紅々と燃えるような赤に紅葉し、冬は冬らしく葉が落ち、次の春にいい葉をつける準備をするといった形で、春夏秋冬の季節に変わり目が手に取るように見え、味わえるものであった。
講義では山火事で失われてしまったそんな素晴らしい自然・里山をもう一度復活させようと、上田市の農林課や一部の企業、地元のお年を召した青年団とパートナーシップをはかり、協力をして下草刈りや、チェーンソーによる間伐、植林を定期的に手がけてきた。お昼には市職員による豚汁鍋などの振る舞いなどあり、和気あいあいとした雰囲気のもと作業ができた。
今思うと、福祉施設などへの訪問や、ボランティア経験の無い私にとっては、自分の祖父母以外のお年を召された方々との交流は一切なく、とても新鮮かつ、いくつもの知恵などを学べる場であり、ヘルメットをかぶって過ごした楽しかった思い出ばかりである。
実際に作業を行った場では、危険と隣り合わせのため、真剣に進められたものであった。チェーンソーによる作業を一つとっても、2人で見守りながら間伐した。間伐してその日一日を終えるとあたり一面すっきりとし、間伐の目的である、太陽の光も地面を照らし、明るい空間がつくれた。
またそこで行われた作業では、すがすがしい汗をかくことができ、笑顔で下山をし、また何らかの形でこの裏山(里山)復活の作業に関わることができたら、心底楽しいなぁと思えてくる。
長島ゼミでは一冊の文献を読み進め、山に対する知識を蓄えた。文献の紹介をすると『里山再生』、私たちの目的とする里山の再生。これ以上も無い文献だ。
筆者の田中淳夫氏は実際に生駒山の「森遊び研究所」で日々活動しており、数々の里山再生に自ら手をかけている。
そんな筆者は、「里山はブームに過ぎない。」と言っているが、私はそれでも良いから都会の人、地方の人、また近づかなくなってしまった地元の人、そんな多くの方が「どっ」とやってきてくれるだけで普段の倍の面積、いやそれ以上の面積を整備できるのだから、良い傾向ではないかと考えた。
しかし実際この『里山再生』を読み、私は自分の間違いにすぐ気づいた。
「山は一つのブームでは循環されていかないのだ。」
それは、ブームに問題があり、ブームとはいったん盛り上がっていき、ピークに達すると後は放物線のように下降していってしまうからである。観光気分で景観を見るだけでは、里山システムは回復しないのである。
里山は人の手が定期的に入っていかなければ、やがては死んでしまうのである(『里山再生』洋泉社、2003年、p.210)。
また、筆者は「洪水を起こせない川が、静かに里山を危機に追いやっている」と述べている。私は最初はこの指摘にも疑問を感じた。治水は住民にとって必要不可欠なものであると私は考えた。だから世の中ではダム建設を進める。(だが、ダム建設の住民投票も行われているが。)ダムを建設する事によって自然を破壊してしまう可能性があると思う。しかし著者は「人口洪水実験が必要」であるという。洪水によって、土砂が上流から栄養塩類として下流へ生物を運んでくる。また、岩石の動向にも里山の多様性を増やす役割がある。そのような現実を理解することによって、著者の認識の深さに感心させられた(『里山再生』洋泉社、p.102参照)。
著者はまた、同書の中で、「どうやら雑木林の伐採は、地球温暖化防止のために貢献しているらしい」(p.118)と述べている。私は、この指摘からも、新しい知識を得ることができた。間伐をすることによって、木々の間隔がスカスカし、風の通りが良くなる程度だとはじめは思っていた。田中淳夫氏が述べる、光が臨床に入りやすくなり、鈍化していた若木や草木の生長量を増すということは、二酸化炭素の固定を進めていることだ、という指摘には、科学的な見解でとても同感、また驚かされた個所であった。
2)"山仕事をよく学び、よく遊べ"
"愉快な山仕事"という団体がある。山仕事の技術と知識を学ぶ場を仕掛けるグループである。また、その場に集った方たちをゆるやかに組織して継続性のある同窓会システムをつくっている。
この活動の最初の一歩は、"愉快な山仕事"を代表者する浜田久美子さんが長野県伊那市で開く山仕事の"塾"から始まった。その塾では、普段、山には足を踏み入れない人に、年間を通して山のイロハを学んでもらうことをめざしている。
山に対する実体験が皆無の者にとって、そこで学ぶすべての事が楽しみと充実感である。それと同時に、日本の山の深刻さを考えるのも狙いだ。そして多くの人に山に足を運んでもらいたいと浜田さんは考えている。
また強烈なインパクトがあるのは、山との乖離は農山村部でも激しく深く広がっているという事実だ。そこで……。
@)"一石三鳥"の戦略
「地元の人にも山に入ってもらいたい」と始められたこの塾には、都市の人ばかりが集まってくる。見慣れた山の風景と山仕事は大変、というのが常識の農山村では、地元の人に関心をもってもらうことが困難なのである。
そこで1997年に、学ぶ場をもうけるだけでなく、もう一歩踏みこんだ仕掛けが必要だと考えた。都市部の熱意がある人たちには質の高い技術と知識と田舎のホスピタリティを。農山村の人たちには都市部から来る人の熱気と山への新たな関り方の機会と、すでに山でも伝えられなくなった山仕事を学ぶ機会を。そして実習の場となることで山に人手が入る、という三者(都市の人、山近くの人、山そのもの)のそれぞれにメリットとなる仕掛け。これを一石三鳥作戦と呼んでいる。
A)学びと実践で森づくり
日本の7割近くを占める山林をごく少数の人が背負う形になっていることがさまざまな弊害となっている。
多くの人にこの現実が見えていないし、理解することすら難しくなっているからである。このため、"愉快な山仕事"では「学び」と「実践」を通して、山と山を取り囲む社会の理解が"常識"になること、また山仕事がみんなの文化や楽しみや地域づくりになることを願い、それらを復活させたいと願い、活動しているのだ。
"愉快な山仕事"のフィールドは長野県佐久市と同県辰野町だ。いずれも県外各地からの参加者と地元の人とで成り立っている。
入り口の質が高いほどその後のハマリ方は大きい、という信念のもと、「素人でも習いさえすれば山仕事は難しくない。庭仕事の感覚で山仕事を楽しみとしてやろう」と提唱する元信州大学農学部教授の島崎洋路氏に講師をお願いする"愉快な山仕事"講座(3泊4日・年1回開講。下記参照)が、活動の基本理念となっている。
B)間伐中心に山仕事体験
カリキュラムは、山づくりの考え方から、今最も山で望まれている間伐を中心に学ぶものだ。島崎氏の長年のテーマは「いかに素人の山主にも間伐ができるようにするか」である。
実習では、ナタやノコギリなどの山仕事の基本道具の使い方、チェーンソーによる間伐、造材して集材までを行うことで、山の流れを実感できるように組まれている。
参加募集枠は長野県外と地元佐久市内と二つにわけて、バランスをとりながら行われている。
この講座を修了した方は「同窓生」となる。年間5回の同窓会(植林や下草刈り、間伐など)に参加してもらう考えだ。
これは佐久市の地元、大沢財産区の活動に"愉快な山仕事"同窓会が加わる形と、"愉快な山仕事"主催で大沢財産区が加わるという形がある。いずれにしても、地元大沢の活動にのっとって"愉快な山仕事"が柔軟に動く、というスタイルなのだ。
また、辰野町での活動(「なるには塾」)は、通年10回の連続講座となっている。これは、"愉快な山仕事"を修了した方たちを対象に、個人所有の山林を「もしも私が山主だったら」をキャッチフレーズに実践的、主体的に関わる形だ。
(財産区とは、市町村が合併される際に、旧自治体が所有していた山林を旧自治体の独立した経営に任せるシステム。その地区を財産区と呼ぶ。大沢財産区議会は12名の議員で4年任期。)
C)一般募集から会員へ移行
"愉快な山仕事"講座は、一般募集を行っているが、同窓会及び「なるには塾」は、講座修了生のみによる会員制の活動である。
山仕事をするために必要な知識と技術を学べる場を設けることが、"愉快な山仕事"本体の役割だ。この主催講座の参加者たちの同窓会、もしくは発展講座が一般の会員にあたる。会員を講座修了生のみに限定しているのは、地元の負担を減らし、信頼関係を確固としたものにするためと、山への実効性を高めるためである。また、同窓生は遠く北海道、福岡、富山、神戸など県外からも集うことも特徴のひとつだ。
D)同窓生の今後の活躍に期待
地元密着のため、仕掛けと継続に手間暇かかるものだが、"愉快な山仕事"に専業スタッフはいない。「自分の仕事と"愉快な山仕事"の両立」を各自が目指さなければならないのである。
どこまでこれでやれるのか、熱心に関わる同窓生が増えていく中で、いかに彼らに活躍してもらうか、それが今後の課題である。島崎氏の後任の育成など、5年間の蓄積の結果生じた課題に取り組んでいくこと自体が、新しい展開をもたらすと考えられているのである。
そもそもは、「素人でも習いさえすれば山仕事は難しくない。休日の楽しみとしてやるだけでも、日本の山は見違える」と素人に山仕事をコツコツと教えていたのは、島崎氏に山仕事を習った街の人間の思いつきだそうだ。それまでは、「山仕事は大変」という苦役の認識から「山に行こう」という気持ちが起こらない状態が続いていた。
そこで取られた作戦が、『知らないがゆえに山仕事に新鮮かつ熱意を持つ人に「学び」の提供を』『その熱意と「楽しみ」の見方が伝わることで山近くの人には再発見の機会を』『山自体には手入れで健やかさを』である。三者三様に「いいこと」がある一石三鳥作戦を仕掛けよう、と始まったのが冒頭の講座だ。
手を組むことになった大沢財産区*では、材の価格の低迷もさることながら、山仕事の技術も知識も持つ機会がなくなり、山離れが激しい地元住民に対する危機感があるのだ。「金を払って、休暇をとって山仕事なんぞを習いに来るモノズキがいるんかい?」という疑問を持ちながらも、偶然の機会に出会った"愉快な山仕事"メンバーの勢いと妙に波長があっていたというのだ。「なんだかよくわからんが、やってみんべえ」と試してみる気持ちで始まったという。その後押しをしたのは、両者を取り持った県の林務課であり、今でも後援という形でバックアップをしてもらっている。
現実には、山仕事は息の長い仕事。一度で終わるものではなく継続が鍵となってくる。基本の技術と知識をもつ仲間が北海道から九州までと集い、議員、地元の仲間と共に山仕事を続けるのである。田舎のおじちゃんおばちゃんを訪ねる感覚で、そのときにさりげなく一緒に山仕事を楽しむ、それもちょっと技ありよ、そんな関係を築くことが願いとされているのだ。
でも、地元の自発的な参加者はまだ少ないのが現実。情報が行き渡らないこと、古い集落に残る人間関係のごたごたなどが参加をためらわせてもいるのである。今年は、"愉快な山仕事"自身で、地元の人材発掘に乗り出す計画も進めていく予定のようだ。
E)宿と足をタイアップして集客する
"愉快な山仕事"で企画を立ち上げたからといって、すぐに都市から森林へ人がやって来るかといえば、そう簡単なことではない。プログラムへの参加をするにも、遠方であれば交通費の負担も大きい。せっかくだから家族も連れて行きたいと思うが、家族全員の交通費、宿泊費、プラス参加費となれば、たいへんな出費で、年に一度の大仕事という感じになってしまうのだ。しかし森や山の手入れのことを考えれば、もっと気軽に家族連れで何度も訪れて欲しいものだ。そこで提案されたのが「宿と足」の手配だ。これを企画の中に入れて考えてみれば、具体的には交通機関や旅行代理店とのタイアップなどが、方法としては考えられる。
バスなどは、最近、半額の便や家族割引のサービスもあり、人数が読めれば値下げ交渉もできるはずである。また子供を出発地の空港で預けて、到着地まで世話をしてくれるという航空会社のサービスや制度もあるようだ。これなどを利用して、子供だけの自然体験ツアーなどを組んでみてはどうか、と考える。そして真剣に取組み、その中でわかってきたことや得たノウハウは、ぜひ蓄積して次回の計画に活かしてほしいと考えているのだ。
人集めがうまく行かないと嘆く自治体も、この「宿と足」を含めた企画を取り入れればうまくいくのではないか。これらをクリアできたらならば、参加者は増えることにつながる。家族で移動する範囲が自家用車で移動できる範囲内に留まっているのは、この費用の問題が原因だと思う。そのため広がりの無いのが残念に思うことである。東京や大阪から都会の人を呼び込もうとするとき、参加者側からは費用が気になる問題だ。このハードルをできるだけ工夫して低くし、後は各地にあるそれぞれの地方の味(特色や歴史)を活かし魅力を伝えてほしい、と代表の浜田さんは考えている。
感想として、今や林業界は、輸入外国木材が安くなり、切り出しても利益が期待できない状態が長く続いている。また森林に従事している人たちの高齢化や後継者がいないことが重なり、森林を維持して行くのは難しい問題となってきた。そんな中、先進的な地域においては、上記で述べたような環境に取り組む団体が、NPO組織をはじめ増えてきていることは事実である。であるからして、環境整備に携わってきた私たちとしては、これからどのくらい環境に対してできるかわからないが、応援また支援という形で関わっていけたらよいなぁと思った。
<参考ホームページ>
・ http://www.geic.or.jp/geic/partnership/casestudy/case0037.html
・ http://www.jca.apc.org/morizukuri/news/dantai-syoukai0201.htm
3)一年を振り返って
@夏合宿
私は大学生活で全く団体行動というものをしてこなかった。いつも特定の4,5人くらいで過ごしていた。長島教授に会うと「いつも君たちは一緒だなぁ」と言われるくらいであった。したがって、夏合宿での団体で何かをするというのは、大学一年の基礎ゼミ以来のことであった。合宿ではいつも教室で真剣に話し合うメンバーと、普段はあまり話さない幼い会話を、夜な夜な話した思い出がある。それはそれとしてもう一つ。この合宿で皆の職業観について語った。この話はこの話で普段話さない話題であるので、個々それぞれの考え方を聞けて、その人の見方が変わったと言ったら大げさであるが、それぞれの考えを聞けて、あの場はとてもいい機会であると共に、自分自身を見直すことの出来る場になったのではないかと思った。
A環境問題に対しては、もうすでに述べたことではあるが、私はこのゼミを始める前に「環境に対し行動をしていたか」と聞かれると、「していない」と答えるであろう。だが今は環境に対し、胸を張って、「環境について考え、意見を言い合い、そして環境にいい事をしてきました」といえる。この一年間で私は普段できない環境に肌で、身をもって体験できたと、貴重な体験をしたことを誇りに思って生きたいと思います。
この専門ゼミナールで長島教授を選んだのは、ある講義で「私の専門ゼミは厳しいかもしれないが、必ず見返りがある」と教授本人の口からおっしゃっていたということと、私自身、環境に興味があったことという理由で選びました。そして一年間受講し、思うのは教授の口から言うだけあって、この長島専門ゼミナールは、長野大学の中でも指折り数えることのできるすばらしいゼミだったと思っています。
TOP
里山再生
倉田 健司
1)森林整備パートナーシップ事業に参加して東山整備作業から感じたこと。
昨年4月26日、10月11日の2回、長島ゼミ生は、大学近くにある東山の森林整備パートナーシップに参加した。ゼミで学んでいる里山についての課外活動、山の手入れをしたわけである。実際に現場に入って見たほうが、現状が分かるし、実感が出てくると思う。テキストだけで学んでいるよりも、現場を見たほうが、問題や解決策が思い浮かぶかもしれない。
そもそも、なぜ、この長島ゼミで里山のことを勉強するようになったのかというと、2003年3月25日長野大学裏、テニスコ−ト裏山山林付近で山火事が発生。28haを消失した。原因は、その年の卒業生が、下宿などでいらなくなった物を燃やしていたところ、その火が周囲の草に燃え移り、山火事になった。その日は、風が強くて、他の地域でも、お墓参りに来ていた線香の火が草に燃え移り、ぼやをおこしていた。消火は、他県などから応援を呼び、大騒ぎになった。
この火事をきっかけに、長島教授は、今の若者は山を知らなすぎると感じ、このゼミのテーマが決まったそうだ。
その山火事を機に、里山整備の計画が持ち上がった。その計画の一環として、森林整備パートナーシップが行われた。当日は、天気がよく、作業するにはちょうどいい日だった。下草を刈ったり、間伐をしたりした。作業前と作業後では、全くといっていいほど変わっていた。二回参加したが、作業したのは、ほんの一部だった。まだまだやりきれないくらい残っていた。20年30年経っている木が、密に植えてあるので、一本一本が細く、使い物にならない。本来は、建築用などに使われるために植林されたのに、外国からの安い木に負け、手間やコストがかかり、ずっとほったらかしにされていた。人が一度手を加えてしまったので、それをどうにかする責任もあると思う。時間はかかるが、少しでもいいので、よい状態にできればと思う。
里山の定義は、「まず、人が関与して改変された自然であること。人の取り分があるうえに、そのほかの生命にも生きる場を十分に与えていること」(田中 敦夫『里山再生』洋泉社、2003年、p.24 )と書かれているが、大学裏山は、木を売るために植林し、手入れをして山を管理していた。その間に、他の生命も生きる場を与えられていたと考えられるので、里山の自然といっていいと思う。
2)「いいやまブナの森倶楽部」について
いいやまブナの森倶楽部の事務所は、飯山市振興公社(なべくら高原・森の家)で、主な目的は、ブナの森を中心とした鍋倉山麓の環境保全と資源活用型の有効な観光発展と、100年後の自然と人間の有機的な共生をも視野に入れた活動を行うことである。
主な活動は、以下の6つである。
1. 鍋倉山麓の環境調査及び資源保全活動
2. 円滑な観光利用の推進活動
3. 自然及び観光等の情報交換と情報発信活動
4. イベント及びセミナー等の開催
5. グループ及びボランティア等の育成活動
6. その他目的達成に必要な活動。
会長は、井出孫六氏で、作家であり、飯山に愛着を持っていて、森の家にも度々、 足を運んでいる。また、なべくら高原のブナ林で行われた井出孫六氏・中野孝次氏・高田宏氏による鼎談をまとめた作品、『ブナの木の下で語ろう』の著者でもある。
平成11年設立当時の会員数は「いいやまブナの森倶楽部」個人入会者数160名、入会団体数55団体(検討中含む)である。現在は、300名を越えている。
会費のほうは、当面、徴収しないで寄付金や助成金で運営している。
寄付金の目安として、個人会員は、一口一千円。団体会員は、(10名以下)は一口一万円、(50名以下)は一口二万円、(100名以下)は一口三万円、(100名以上)は一口五万円ということになっている。
14年度収支決算報告は、会のホームページ
http://www.iiyama-catv.ne.jp/~morinoie/bunakaihou14.htmに公開されているので、ここでは省略したい。
@)「倶楽部」設立の背景と主旨
@鍋倉山の現状と今後の保全・利用
鍋倉山には、日本国内でも貴重な原生の状態のブナ林が残されている。同時にこの森は、山麓に暮らす村人達の生活にも密接に関わってきている。貴重なブナ林と共存した里山であり、ブナ(自然)と人(村)が非常に近いということが、なべくら高原の特徴の一つだと思われる。
現在では、高速道や新幹線の開通により、県外からも多くの人たちがこのブナ林を訪れている。ブナの芽吹きの新緑の頃、秋の紅葉シーズンなどは連日マイカーや大型バスでの来客があり、また近年自然体験教育の一環として学童の入山も数を増している。白神山地(下記の注を参照)のような奥深いブナ林と違い、誰でも気軽にブナ林(自然)に触れることができるという点が、年々訪れる人が増えている要因の一つではないでだろうか。今後もさらに大勢の人がこの森を訪れ、観光資源としての可能性も大きくなっていくことであろう。
1999年春、鍋倉山のシンボルであった「こぶブナ」が倒れた。そして今、「森姫」がその危機に直面している。その大きな要因の一つに「森太郎」「森姫」に集中して人々が訪れたために、木の根本を踏み固めてしまったという事があげられる。人々が近づきやすい「森姫」は特にその影響を大きく受けて、季節はずれに落葉したり、キツツキに穴を開けられるようになってしまい、また枝先が枯れたりしてきている。あまりにも多くの人が鍋倉山にはいるため、原生の森は傷つき、元々整備のされていない山道は荒れ、自然にとっても、人間にとっても危険な状況にある。
昨年には、未整備の散策道を歩く道しるべとして、ペンキでブナの幹へのペイント(矢印)がされるという事例も発生している。観光資源としてのブナの森の活用は、飯山の今後の大きな柱になって行くであろう。
また、現状をふまえ、人々の生活に密接な関わりを持つ貴重な宝をどう保全していくのか、有効活用していくのかを討議し、行政やさまざまな団体と意思統一を行うことが早急に必要である。100年後の鍋倉山麓のあり方をにらんだ「いいやまブナの森倶楽部」の役割が、たいへん重要だとこの「倶楽部」を調べて強く感じた。
A「倶楽部」の趣旨──4つの要点
ポイントは、4つある。一つ目は、ブナと人が築いた里山「なべくら」の再認識。二つ目に、地元の問題だけでない「全国区」のブナの森を考える。三つ目に、人と自然の新しい関係、「飯山」が先駆者になりうる活動である。四つ目に、100年先の鍋倉を考えること。「倶楽部」の主旨は、以上の4点からなる。
A)「いいやまブナの森倶楽部」の活動
@鍋倉山麓の諸問題に対する討議・検討
当面の活動として、趣意に賛同してくれる会員の募集、保全・保護、及び資源活用の方向性の模索、入山者の意識向上のための活動を行っている。具体的な内容としては、会の活動内容の告知や組織作り、必要に応じた募金活動などを行っている。
「森姫」・「森太郎」に対する処置は、三点あり、@樹木医による診断の必要性。A柵の必要性。B踏み固めを防ぎ、かつ樹皮に触れられるような木道等の設置の必要性がある。
A事務局主体のイベント、セミナーなど
B情報の発信
倶楽部の活動の情報発信を行い、意識の向上と活動主旨の啓蒙活動を進める。手段として、1)ガイドブックの発行、2)インターネットによる発信、3)通信紙の発行を行っている。
C組織づくり
A.なべくら山麓案内人組織の結成。
鍋倉山周辺に訪れるハイカー等の案内人組織を結成し、道案内や自然保護の指導、学童への教育を行う。
B.環境整備等のボランティア組織の結成
AまたはBが主体となり遊歩道や周辺環境整備、ゴミ拾い等の活動をするボランティア組織を結成する。
C.グループ(ワーキンググループ)
諸問題の討議・検討の核として具体的な活動を実施できるグループを、適宜事務局の判断のもと組織する。
座談会として、「なべくら山ハイク・ハイカーをどう考える!?」、「どちらにも言い分はある〜スノーモービルの是非を問う〜」
作業として、巨木の迂回路、森太郎・森姫を守る、などを行っている。
(注)
*白神山地
白神山地は青森県南西部から秋田県北西部にまたがる面積約130,000haの土地の総称で、その中心部約17,000haが世界遺産(下記の注参照)に登録された。
白神山地には人間活動の影響をほとんど受けていない原流域が集中し、世界最大級といわれるブナ林が広域に渡ってほぼ原生そのままの姿で残されている。
白神山地のブナ林内には多種多様な植物群が共存し、それに依存する多くの動物群が育まれ、自然の生態系がありのままの姿で息づいている。
白神山地は広大なブナの原生林だけでなくそこに住む動物、特にツキノワグマなどのほ乳類、クマゲラに代表される鳥類や昆虫類などの宝庫でもある。
*世界遺産とは
「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づき、世界の全ての人々に関係するようなすぐれて普遍的な価値をもつ遺産で、文化遺産と自然遺産の2つに大別されている。
主な世界遺産
文化遺産として、万里の長城(中国)、ベルサイユ宮殿(フランス)、ピラミッド(エジプト)など、自然遺産として、キリマンジャロ国立公園(タンザニア)、イエローストーン国立公園(アメリカ)などがある。複合遺産(文化遺産及び自然遺産の両方に登録されているもの)は、アトス山(ギリシャ)、泰山(中国)などである。
日本の世界遺産
平成4年(1992年)10月1日に、自然遺産として白神山地と屋久島、文化遺産として姫路城と法隆寺地域の仏教建造物を世界遺産リストへの登録物件として世界遺産委員会に推薦した。
その後、平成5年(1993年)白神山地は屋久島と共に世界遺産(自然遺産)に登録された。文化遺産として推薦された2つの物件も登録された。
平成8年(1996年)12月現在、日本には8カ所の世界遺産がある。
【自然遺産】白神山地、屋久島
【文化遺産】姫路城、法隆寺地域の仏教建造物、古都京都の文化財、白川郷・五箇山の合掌造り集落、原爆ドーム、厳島神社
B)感想
いいやまブナの森倶楽部を調べてみて、人がたくさん森に入ってしまい、危機的な状況になっており、観光地として有名になれば、環境も変わり、それに適応できなくなると感じた。自然のすごさを体験できるのはいいが、訪れる人はマナーを守り、行政や地域住民の協力を得て、100年後も、変わることなく維持していって欲しいと思った。それを実現するには、地域の協力はもちろん、その場所を訪れる観光客にも責任があるのではないかと感じる。森に悪いからといって、全く足を踏み入れさせないというと、地域の活性化などの問題になる。基準を決めるのは難しいが、森を守れる程度の入場に制限して、森を休ませた方がいいと感じた。限りがある資源を、ただ人間の楽しみなどで失うのはあまりにも悲しい事だと思う。もっと環境に対する意識を高め、守っていけるようにないたいと感じた。
3)この一年を振り返って
@夏合宿
9月19〜20日に菅平にある、"ペンションふくなが"にて夏合宿を行った。夏合宿といっても行ったのは9月だったから、寒かった。去年のゼミはコンピューターのゼミだったので、合宿はなかった。一昨年のゼミでは、当日、別の講義があり途中からの参加、集まる人数が極端に少なく、勉強したというよりは、ちょっと旅行といった感じだった。今年の合宿はどうなるのだろうと、ちょっと楽しみだった。
里山についてだけではなく、将来の仕事についても話をした。今年が終わると、いよいよ就職活動が本格的に始まる。自分がどんな仕事につきたいのか、考えるいい機会にもなったと思う。
もう一つ印象に残っている事が、夜、酒を飲みながらの雑談。マッチ棒を使ったゲームなど、酒の席で使えるネタを教授が披露。みんなで面白おかしく考えた。「……これが解けたら優の値打ちがあるな!!」って言って、俺、謎を解いた事を、教授は覚えているかなぁ。まあ、楽しい一泊二日だった。
A環境問題に対する意識
このゼミを通して、山に関する考え方が変わった気がする。ゼミが始まった最初は、「里山」という言葉もあまりよく知らなかったが、一年を通してじっくり考えることができた気がする。環境問題といっても、いろいろある。自分の身近にあって、ほとんど関心がなかった山。実際、足を踏み入れて生の現場を見ると、人が手を加えて整備してきていたのに、段々と人が離れていってしまい、荒れてしまった。森を生き返らすという、人間の責任があると感じた。だが、時間やお金などの負担が大きく、なかなか現状ではうまくいかない。もっと関心をひきつけ、徐々に整備していく必要があると感じる。
今までは、環境のことを気にしない開発をしてきたので、破壊が進んでいると思う。本当はもっと早い段階から関心を持ち、少しずつ整備していけばよかったと感じる。しかし、現実は、気が付くのが遅れ、時間が経ってから気づき始め、始めるのが遅れていると感じる。これからは環境に対する意識を持つ人が増えてきているので、時間はかかるが、少しずつ、よくなっていくのではないかと思う。自分も少しでも環境にいい事を行っていけたらと思う。
B身近な環境の中で、残りの学生生活および社会人になってから、関心を持ち続けたいと思うこと
今回学んだことを、今回だけの事にしないで、これからも関心を持ち、積極的に参加していけるようにしたいと思った。自分の世代だけで、限りある資源を全て使い切ってしまうのではなく、これから先ずっと残るような使い方や、それに変わる新しい物を考え、実行していかないといけないと感じた。
ガソリンに代わる新しいエネルギーは、今、燃料電池など開発が進んでいる。その開発が進めば、排ガスなどの大気汚染が減り、環境に優しくなる。環境問題といってもたくさんあるので、広く浅く関心を持ち、日ごろの関心を強く持ち、積極的に参加していけるようにしたい。
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ゼミで学んだ環境の大切さ
鵜里 光司
1) 森林整備パートナーシップに参加して
下草を刈ったり、木を切ったりして、久しぶりに森林に入って何かをしたという感じがあった。今まで小学校の頃までは、家の近くにある山や林に入って、遊ぶことは結構あったが、いつの間にか山や林に入ることもしなくなってしまった。そして、今回、森林整備作業で東山に入ってみて、懐かしという感じや、落ち着くという感じがあった気がする。
『里山再生』(洋泉社、2003年)という本の中で、著者の田中淳夫氏が、里山に関し「日本人の感性に合い、快適性と癒し効果を持ち合わせた自然空間としては、里山がもっとも優れているのではないだろうか」(p.60)と、言っている。この指摘に対して、私はほとんど同感である。
今回の森林整備作業で、山に入った時に自分が感じた、懐かしさや落ち着き感という部分が、田中氏の言う「快適性と癒し効果を持ち合わせた自然空間」という部分に近いものがあると思うし、里山は快適性と癒し効果を持ち合わせていると言えると思う。また、『里山再生』の著書の中でも、森林にはストレスを緩和させるはたらきがあり、化学的にも立証されているということが書かれている。
私が森林整備作業で山にはいった時のことなどを含め、里山は、快適性と癒し効果を持合わせていると言えると思う。また、このことから癒し効果を利用して行う、森林療法という行為も、活用できるのではないかと思う。
現在の日本では、不況による、リストラや倒産、仕事上のトラブル、人間関係等、様々な問題があると思う。そういった問題に悩んでいる人たちに対し、森林療法は適しているのではないかと思う。今回森林整備で山に入り、木を伐ったり、草を刈ったりした。こういった作業は、結構疲れる作業ではあったが、やっていて気持ちも良かった。それは、山の中で、様々な生物、植物などの自然環境に触れたことによるものだと思う。こういった森林整作業などを通じて、森林療法としても充分に活用できると思う。
また、田中氏は著書の中で「森林療法は、森林の価値を具体的に伝える有効な手立てになるのではないだろうか」(p.193)と言っている。つまり、森林療法を通じて、森林に関心を持ってもらうということである。この意見に私も同感であり、森林療法を通じ森林に関心をもってもらうことは、里山に対する関心を持ってもらういいチャンスであると思う。そして、里山に対して関心をもってもらうことで、森林整備などの活動に興味を示してくれる人もでてくるのではないかと思う。
今回、参加した森林整備パートナーシップでは、比較的高齢の方が多く参加していた気がする。それは、森林整備に興味があり、参加したのであって、とても素晴らしいことだと思う。しかし、もっと若い世代の人が参加していくことも大切だと思う。私たちの世代が参加することによって、森林に興味がわき、森林整備活動に対しても、今以上に活発的になると思う。そして、様々な世代が参加することで、森林整備だけでなく、人と人との交流もすることができ、森林整備という活動の幅も広がっていくと考えることができる。また、森林療法という面から見ても、自然に触れるだけでなく、色々な人と森林整備などの活動を通じて交流していければ、治療の助けにもなっていくだろう。
森林整備は、里山の自然を維持していく上で、必要不可欠である。そして、里山であるからこそ、快適性や癒し効果を得られるのであり、まったく整備されていない原生林では、快適性や癒し効果を感じることはできないと思う。
私が小学生の頃、入った山や林には、ある程度人が入ることのできる道もあったし、下草も刈ってあった。そして、その中で、色々なことをして遊び過ごしてきた。
今回の森林整備パートナーシップで、東山に入り、改めて里山というものが、人間にとって大切な存在であると思った。また、森林整備など、山に手を加えるというのも、重要なことだと思った。
2) NPO法人しなのぐらし
2000年春に、小渕登美子氏が代表となり、仲間15人と共に長野県小布施町にNPO法人『しなのぐらし』を設立した。『しなのぐらし』は『しなのぐらしコミュニティ』という支援組織のもと活動する、会員制の組織である。
『しなのぐらし』という名前は「よりよく共に生きたい、より良く暮らしたい」という願いからこの名前になった。また、「信濃の豊かな自然と共に、ひとりひとりが自立し、お互い助け合いながら、いろいろな生き方を探していきたい」という想いも込められている。
〇活動
長野県北部に位置する広大な奥志賀高原の中にある、カヤノ平と呼ばれる地域で、ブナの森づくりと畜産(混牧林事業)を行っている。
混牧林事業とは、衰退したブナ林に肉食用黒毛和牛を放牧して、ブナの実の発芽の妨げの原因になっているササの植生コントロールと、ササに含まれる豊富な栄養素を共存させ、ブナ林再生と既存の森林資源の保護をはかろうとする事業活動である。これは、牧畜と森林育成とを同じ場所で同時に行う、特殊な事業形態である。
また、代表の小渕登美子氏は、35年間にわたり黒毛和牛の牛飼いを続けており、この混牧林事業の組合(混牧林組合)の事務局長を兼務している。
混牧林事業は昭和44年に、全国10ヶ所で始められたが、林業、畜産業としては経営が難しく、更に林野庁の衰退に伴い、10年でほとんどが中止となった。しかし、カヤノ平混牧林牧場だけは「森をつくろう」という畜産農家と有志者たちにより、自らの財力と労力で維持されている。
『しなのぐらし』では、小布施の町の中心街から少し離れた場所に自らが運営する、小布施オープンハウスがある。ここでは、老人や心身の不自由な人々との心の交流をはかりつつ1日を送る、いわゆる、デイサービス業も請け負っている。
小布施オープンハウスは、老後を自立したいと願う人々や、障害をもつ人々と共に、生きることの意味や、そのためのすべを考える場所として、多くの共感者の支援と協賛のもと建てられた施設である。
ここでは、年齢の区別や心身の状況による制限はなく、1日の日課を決めることもない。誰もが利用したいときに自由に過ごすことができる。そして、医療の面でも『しなのぐらし』の協賛者である提携医院の協力をえることができる。
また、オープンハウスの建物は、天然木材がふんだんに使われ、各室内や廊下、浴室、洗面所など、徹底したバリアフリー構造になっている。それから、非常時の呼び出しブザーもついているので、体の不自由な人でも安心して利用することができる。「利用者が安心でき、仕事・家事・育児・介護に追われる家族の手伝いを少しでもしていきたい」と考えている。
オープンハウスでは、デイサービスだけでなく、近隣に住む様々な人々が気軽に立ち寄り、談話を楽しんだり、情報を交換したりすることのできる場所としても利用されている。 また、オープンハウスの1階では、外部から講師を招いたりして、色々なセミナーや講演会などを開催することもある。2階は、県外など、遠くから来る会員のため、宿泊できるようにもなっている。ここには、浴室やキッチンなどがあり、長期滞在も可能となっている。また、会員以外でも、協力金というかたちの施設利用料を払えば、安い費用で宿泊することができる。
※混牧林組合
組合長は、樋口重富氏。正式名称は、高水北部地域混牧林経営肉用牛放牧推進組合という。この組合は、林野庁の混牧林事業撤退にともない、民間側が自主的に事業を存続するため、昭和54年に結成された組織である。
〇活動理念
『しなのぐらしコミュニティ』で「本当に人間らしい豊かな生き方とは何か」、「自然と共生するライフスタイルとは何か」という事を、同じ志をもつ人々と、共に学び考え、それらを通して得られた知識や技術を、普及・継承していくこと。
〇会費
年会費 10,000円(しなのぐらしコミュニティの基金として)。
※NPO法人『しなのぐらしコミュニティ』は、財団法人たばこ産業弘済会・社団法人日本フィランソロピー協会の助成を受けている。
3) この1年を振り返って
1年を振り返って、この長島ゼミで、環境(主に里山)について学んできた。このゼミに参加するまでは、特に自然環境について気にとめることもなかったと思う。でも、このゼミで環境に関することを学び、少しは自然環境を気にするようになった。
このゼミに参加した当初は、里山というものが、人の手を加えられたうえでなりたっているものだとは知らなかった。存在する山はすべて里山と呼べるものだと思っていた。しかも、間伐というものもよくわからず、ましてや、森林整備などという活動は、全く知らなかった。しかし、森林整備パートナーシップの活動に参加したり、授業で学ぶたびに、徐々に理解することができるようになった。
森林整備パートナーシップや夏合宿に参加して、森林整備では、大学の裏にある東山に入り、木々に触れながら作業を行い、森林整備の大切さだけでなく、大変さや、他の参加者との交流の素晴らしさを学んだ。また、夏合宿では、須坂市の峰の原高原にあるペンションに行き、周りをたくさんの木々で囲まれたなかで、自然環境についてだけでなく、これから先の、自分たちの将来のことについての話もした。これらのことは、自分にとって、とてもいい経験になったと思う。森林整備、夏合宿、共に自然の中という、とてもいい環境の中で学ぶことができたと思うし、自分自身が環境について考えることも増えてきたと思う。
自分にとって、こういった自然に関わることは、珍しいことであり、今はもうほとんどないことだと思っていた。しかし、長島先生と色々と話をする中で、自分自身が自然環境に関して、とても恵まれているということを教えられた。
確かに今現在、テレビゲームやパソコンの普及、家の周りにある自然の減少、山や川を危険な場所であるという考えなど、理由は様々ではあるが、子供たちが外に出て遊ぶということが減少してしまっていて、なにかと自然に触れる機会が減っている。
それに比べ、私が子供の頃は 家の近くに山があり、林があった。また、小さな川もあった。その山に入って、木に登ったり、虫を捕まえたりした。川に行ってサワガニやザリガニを捕まえたりもした。近くの林には、ハトやスズメがたくさん集まっていたし、タヌキやフクロウの姿を見ることもあった。今考えると、自分の家の周りには多くの自然があり、すごくいい環境だったと思う。
また、作物に関して、今は、野菜などの作物に使う農薬が問題となっているが、自分の家では、お米をはじめ、食べる野菜はほとんど、家で作っている。主に作っている祖父母は、農薬は一切使っていないと話していた。
今まで、家で野菜を作り、それを食べるということが、当たり前であり、気にすることなく過ごしてきた。しかし、今は、自然環境を生かし、農薬を使うことなく野菜やお米をつくって、それを食べるということが、とても素晴らしいことであり、贅沢なことだと思う。そして、そのような作物を作ってくれていたおかげで、これまで自分が、気兼ねない食生活を送ってこれたのだということが、ゼミをつうじてよく分かった。
これから先、自分の身近にある自然環境は少しずつではあるが、変化していくと思う。現に家の近くにあった林も、今は、木が伐られてしまい、土地も整備され、家が何軒も建てられて完全な住宅地になってしまっている。
木が伐られた当初は特に何も思わなかったが、今考えると、林が消えてしまったことを寂しく感じる。そして、これから先、また、このように身近な自然が消えてしまうかもしれないと考えるとすごく残念に思う。
この先、自分の周りの身近な環境が変化してしまう前に、その自然に触れ、もっと自然環境の良さを感じていきたいと思う。また、身近にある山や森などの自然や、自然環境を生かして作る作物を、当たり前の様に存在しているものという考えを改めたい。そして、自分自身にとって、近くに山や森がある、安心して食べることのできる野菜やお米などの作物があるという状況が、とても素晴らしいことであり、恵まれた環境にいるということを、忘れずに思い続けていきたい。
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自分なりの里山感
大和 邦浩
1)パートナーシップ事業に参加して
ゼミの授業の一環として、大学の裏山の森林整備に参加した。私にとっては久々の山仕事であり、大学に入学以来、山へ入る機会が無かったので、良い機会だった。参加してみると、家族連れやサラリーマンの人や、まだ年の若い人など、さまざまな年齢層の人達が参加していた。
テキストの第1章の「人が安らぐ森林環境」の中で、田中淳夫氏は「私は仕事に行き詰まると散歩に出る。町の中を歩くこともあるが、余裕があれば裏山に入る」「木を切ったり、焚火をする事もある」「森の中を歩くと気持ちがいいし、気分転換になる……そんな感覚を否定する人は少ないだろう」と記している。このように、森林には人をリラックスさせる効果があると思う。
今回の森林整備パートナーシップに参加した一般の方々は、この様な目的の方が多かったのではないだろうか。私の場合はボランティアの気持ちで参加したが、最終的には木を切っている自分が久々の山仕事に夢中になっていて、明らかにストレス解消になった。
また、この森林パートナーシップに参加してみて、専門的な知識を持っていないと山仕事は楽しくないと思った。なぜなら、作業をしながら木の名前や綺麗な花が咲く山桜の見分け方や、植物の名前を教えてもらいながらの作業は非常に興味深くなっていき、自分がひとりで山仕事をやる時にとても役に立つし、もし無知のままで山仕事に行ったとしてもなんにもならないからだ。私に知識があるのなら気分転換をしながら自分の裏山を整備することはとても安易だと思ったし、その方が森林の保全につながると思う。
また、『里山再生』の著者田中淳夫氏は、森林にはストレスの緩和に科学的に効果があると言うがこれは私も、確かだと思う。なぜなら、余談だが、有名な俳優の役所さんは自分の庭の草むしりが、とてもストレスの解消になると言っていた。これは、山での伐採や下草刈りと同じ意味を持っていると思われる。
今回の参加者の方々は日ごろのストレス解消や気分転換に大いに役立ったに違いない。我々にとって、自然ほど掛け替えの無い存在はないと思う。里山を利用しなくなってきた現代人は森林や裏山の森林整備はほとんどの人がやらないままほったらかしにしているに違いがないと思う。
今回の森林整備パートナーシップに参加して特に思ったことは、大学の裏山が身近に感じ、また自分達で山林の整備をやり遂げて満足感も得て知識も少しだが得たことは大きな成長につながり、専門ゼミの課題テーマにもなっている「里山」を、身をもって体感できたことは、大きな収穫となった。里山はこれから注目をあびる存在となっていくと思う。
しかし、大学の裏山は今はあまり活用されていないので、長野大学の学生達がどんどん提案して活用し、森林の整備に携わっていけば、地域との関りや交流に大いに役立つと思う。
2)NPO法人 信州フォレストワーク
@.NPO法人の概要
信州フォレストワークは、1997年に森林を気遣う仲間が集まり、任意団体として発足し、2002年12月4日に田中知事より認証を受け「特定非営利活動法人 信州フォレストワーク」となった。
A.信州フォレストワークの活動
信州フォレストワークは森林ボランティアによる健全な森づくりを実践するため、長野県内各地の森林整備や植林保育などの活動を行っている。森林に深く関心を持ち、常に人と森林との関わりを考え、森林の知識や知恵を学び、実践し、広く伝える事を目的としている。また、炭焼きや木工作、きのこ栽培、ログハウス造りなど、間伐材の活用を進め循環型社会をめざした取り組みも行っている。さらに、英国環境保全団体BTCV(注参照)とパートナーシップを組んだボランティア活動により、地球規模で考え、地域レベルで行動することを実践している。
現在の主な活動拠点は、長野市、小谷村、小川村、真田町、明科町などである。
会員になると「信州フォレストワーク通信」を毎月1回送付される。また、活動やイベントに参加することもできる。森林保険にも適用される。いうまでもないが、森林の手入れ方法や自然に関する知識が身に付く。
なお、会員区分別の年会費は、下の表の通りである。
| 会員区分 | 年会費 |
| 個人会員 | 5000円 |
| 学生会員(大学生など対象) | 1000円 |
| 家族会員(家族全員対象) | 7000円 |
| 賛助会員(法人対象)1口 | 10000円 |
B)フォレストワークの具体的な活動状況
@松ヶ丘小学校の学校林整備「ぼくらの裏山プロジェクト」
これは、今まであまり手の入れられてこなかった小学校の裏山を、有志の子供たちや保護者・地域の方々と一緒にきれいにして、子供たちが遊び学べる空間にすることを目的に活動が始まった。子供たちがノコギリなどを使っての作業や自然の知識を学び、また、整備をするだけでなく活用することも目標としてキノコ栽培も行っている。キノコの原木には裏山で間伐したナラの木を利用している。
Aログハウス造り
信州フォレストワークの活動拠点の一つである真田町赤井の「けやきの森」に間伐材を利用してログハウスを造っている。基礎工事からはじまり、皮むき、積み上げ、スクライバーとチェーンソーによる丸太組など、全て自分達の手で行っている。
BNAGANO里山保全国際ボンティアNCV2002
このフェスティバルでは、英国の環境保護団体のBTCV(注参照)と信州フォレストワークとが交流会を行っている。この交流会では、BTCVのリーダーによる講演会、森林整備、農業体験などを行っている。この際に間伐した木を使って炭焼きを行なった他、間伐した木材でテーブルやイスの製作を行っている。その他にクリタケ、ナメコ、シイタケ、ヒラタケなどキノコのコマ打ち体験、また、郷土の農具や民芸品を集めた資料館見学もしている。他には地元のお宅を訪問し、夜にはパーティーで交流を深めている。
(注)パートナーシップ相手 BTCVの概要
BTCVは1950年代に英国で設立された環境保護団体であり、その組織は英国中のローカルなボンティア団体が集結して出来ている。
BTCVの主な参加団体は、環境保護グループ、コミュニティ・グループ、学校グループ、借地人および居住者協会、大学と大学内のグループ、青年団などである。
また、実際に、よりよい環境のために活動したい任意のクラブ、学校グループ、地方の団体など、6人以上のボランティアが必要。
BTCVは主に環境保護に必要な知識や仕事などのトレーニングをする団体であり、英国でのボランティア団体への指導的立場にある。
C)まとめ
信州フォレストワークは我々の身近の所で活動しているのだなと実感した。またホームページの団体の概要や活動内容が写真入りで分かりやすく紹介してあり、とても充実したホームページといえると思った。さらに、子供たちを中心とした「ぼくらの裏山プロジェクト」など、活動がとても活発で参加者を中心としたキノコのコマ打ちやログハウス造りなど自然を身近に感じさせる活動を多く展開しているのだと思った。
また、海外の環境保護団体BTCVとの交流会や共同作業など国際交流も盛んに行われていて、環境保護団体としては、とても活動が広範囲だと思った。この信州フォレストワークの特徴として、ボランティアに参加している人達が中心的な役割をしているのがよくわかり、また参加重視型といえる。このような環境保護団体は今、多くの地域で作られているが国際交流を含めた団体は珍しいのではないかと思う。
3)この一年を振り返って
@夏合宿を振り返って
大学に入学して以来、授業の一環として泊り込みで学習に参加することは久しぶりだった。場所は菅平のペンションで行った。
ペンションの女主人の方はNGOボランティア団体の代表の方で、館内のあちこちに活動の写真や環境保護のアピールのポスターが貼ってあり、かなり活動状況が活発なのは一目瞭然に分かった。長島先生とは知り合いの様でとても気さくな女主人であった。
まずは、普段のゼミによる授業の様に各自で持ち合ったレポートを発表し、意見を述べ合った。私も当日、発表すると思い、テキスト『里山再生』のレジュメを持参したが、時間の都合で発表をする順番まで来なかったので非常に残念に思った。
しかし、他のゼミ生のレポートの発表の後、長島先生の提案により大学の裏山の活用方法についての各自の意見を発表することになり、大学の裏山のいろいろな活用方法がだされた。特に、重要だったことは、テキストの『里山再生』にも述べられているように「そこそこ儲かる」という活用方法を提案することに焦点が集められた。自分は、確かきのこを栽培してキノコ狩りをすればいいのではないかと提案したと思う。他の人からも興味深い意見がだされ、いつもと違う活発な意見交換が出来たと思った。また、ディスカッション中にペンションの方からクッキーやコーヒーを頂き、いつもと違う雰囲気の中で、私としてはゼミが楽しく感じられた。
夕飯は羊の肉である「マトン」を使った寄せ鍋と、赤い古代米だった。私は、古代米を食べたのは初めてだったので、どんな味がするのかと、すこしわくわくしていたが、普通の普段食べているお米とあまりかわらなかった。
夕飯後、ゼミの仲間達と飲み会をして、長島先生の昔話やいつもは話をしないようなことを楽しく話すことができた。ゼミ合宿に参加して、残り少ない大学生活の中の良い思い出となった。また、大学の教授をこんなに身近に感じたのも今回が初めてだった。
将来どんな職につくかまだ分からないが、日ごろの生活や、仕事において、この合宿で学んだことを少しでも活かせるようなことができればいいなと思う。
A身近な環境の中で、残りの学生生活および社会人になってから、関心を持ちつづけたいと思うことはどのようなことか。
私は、小さい頃よく祖父に連れられて山林へキノコ狩りに行ったりした。また、地区のお正月の行事で、三九郎(どんど焼き)で使われる柱の松を区有林に取りに行ったりした。しかし今は、私の地区では子供が少なく三九郎の松の柱は毎年、同じ物を使う有様になっている。今まではその柱は地区の各家庭に縁起物として細かく切り分けて子供たちが配っていた。私も配った記憶がある。
また、私の家の裏山に入っては友達と「隠れん坊」をしたり、柔らかい木を切ってきて、弓を作ったり、剣の代りにしたり、祖父と「蕗のとう」を採ったり自然を満喫していた。また私の家は幸せなことに地下水が出ており、水道水を飲まずにその地下水を生活用水として利用している。また池も有るので夏は池で釣りをした。
今、思うと私はとても、自然を満喫していたのだと思い、またゼミで学んで知った「里山」という言葉が、自分の実家の周囲にあることを知り、私の育った環境が今、見直されていることを実感した。
中学生になってから今の大学生の時まで、昔のように里山からは自分は離れていったが、このゼミで学んだ里山の役割、また活用方法を実家に帰ってから活かしていきたいと思った。また、今の子供たちは、テレビゲームに夢中で、自然を利用した遊びや山林での作業を知らないのがほとんどだと思う。そこで、私が親の立場になったら、祖父が教えてくれたキノコの種類や「蕗のとう」を採りに連れて行ってやりたいと思う。また、残りの大学生活でも実家に帰ったら少しは外に出て裏山の散策や整備を自分なりに進めていきたい。その中で将来的にはキノコの栽培などもしてみたいと思う。環境は恵まれているのだから後は行動力とやる気さえあれば、十分に「里山」の良さや有り難さが味わえると思うので、もっと知識を身に付けて、自分なりの「里山」を創りたいと考えている。
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里山研究から得たこと
宮澤 智典
1) 森林整備パートナーシップ事業に参加して
里山とは、人の住む里に近い山(田中淳夫『里山再生』洋泉社、2003年 p.16)と書いてあるように、ほとんどの山が近くに民家や田んぼ、畑、ため池など、人が住むのに適し、人が踏み込める場所にある。ましてや、人間が住みやすいように里山も変化していっている。山は、人間にとって生きるための材料が揃っている場所でもあり、また、レジャー、キャンプといった娯楽の場でもある。小さいころは、里山遊び、きのこや山菜などを採ったり、昆虫採集の場によく使ったりもしたが、大きくなるとほとんど行くことがなくなり、自然と触れ合うといったことがなくなってきてしまっている。
このゼミでは、山の中に入り、木を伐採したり、草刈をしたりすることによって、山を綺麗にし、間伐によって新しい木の成長を促したりした。今では、里山は、人間が間伐することによって、木も成長でき自然のサイクルを行えるようになってはきているが、まだまだ多くの里山では、放ったらかしで荒れているところも多い。
すべての山を人間が入り間伐を行ったりすることは、はっきり言って無理だと思う。しかし、少しずつでも手を加えていくことができれば山の緑も甦るのではないかと思う。荒れていて山を綺麗にするだけで、その場が一気に違った景色になる。木は減ったりはするが、何年か後には新しい木が生え美しい緑になる。また、間伐には、木の影に隠れて成長できなかった木々が成長できるという大きな利点もある。
本来、自然の中で植物や動物が自然に循環し、支えあってきたところに人間が入りこみ、そのサイクルを狂わせてしまった。しかし、人間が住みやすい環境に変えたということは、人間が、山の成長を助けることをしなければいけないということになると私は思う。住みやすく変えておきながら、後は何もしないでは自然破壊にもつながる。里山を有効に使えば、環境問題対策にもなりうるし、人間にとっても楽しめる場にもなるし、森林療法といった病気を防いだり、知的障害者や、自閉症の患者さんに効果のあることをできることになる。森林に入ると自然に癒されたりするし、空気もおいしく感じる。
森林には紅葉もあるし、人間には、親しみやすい場所であると思う。里山と触れていけば、段々、里山が人間にとってとても大切な場所あると気づくと思う。また、林業などで木材がいるため伐採し過ぎてハゲ山になっている所などがある。木を切ることは、悪いことではないが、切り過ぎてしまうともう生えてこなくなってしまったりすることを考えて伐採はしなければいけないと思う。
子供から大人まで里山を大切にすることは可能だと思うし、里山は子供にもよい遊び場になるはずである。里山を綺麗に整えればきのこも生えてくるし、子供にもきのこ採りや昆虫採集をする楽しみが増えるはずである。里山は利用すれば様々な可能性がある。
2)信州そまびとクラブ
"信州そまびとクラブ"のメンバーは、地元佐久地方の各森林組合に、他県からやって来て就労した(いわゆるIターンの)現場職員の集まりである。そまびとクラブが森林組合で働くことによって身につけた技術を、もっと大勢の人達の為に役に立てたいと考え、このクラブを結成した。理事長は工藤考一さん、副理事長は阿部さんである。
1.趣旨
かつてわが国の森林は、堅実な木材需給に裏付けられた林業の場として、主にそれを営む人々と、山村に暮らす人々により利用されるものであった。その後、木材市場の国際化に伴う国産木材の価格競争力の低下、木材と比べ安価に規格化が可能な原材料の台頭、山村の過疎化による働き手の不足など、社会情勢の変化に林業界は対応しきれず、衰退の一途をたどっている。
一方、環境保全に対する社会的関心が高まるとともに、最近、国連環境会議で「森林を保持するための管理経営」がうたわれるなど、森林のもつ優れた環境保全機能が注目を集めるようになり、国内でも、森林を公共の利益の機能を併せ持つ社会的資産と位置づける、森林・林業基本計画が策定されるに至った。また、国に対する日本学術会議の答申にもあるとおり、わが国では、適切な管理なしに森林の色々な機能を併せ持ち、それを高度に発揮することはあり得ないといわれている。
しかし、森林の守り手である林業事業体の多くは、苦境から脱しきれずにいる。こうした現状に問題意識を持ち、林業後継者たるべく事業体に就労する者も後を絶たないが、受け入れ側の指導不足、高い労働災害率と、それらへの対策・情報を共有するシステムの欠如などにより、能力を発揮できずに離職するものも少なくない。また、森林整備ボランティア組織も増加しており、そうした人々への作業技術面や安全管理面での支援・情報提供を求められている。
信州そまびとクラブの発起人たちは、これまで林業の現場に身を置きながら、上に記した問題を目の当たりにしてきた人々である。そして、その経験をもとに1年半に及ぶ討議や研究を経て、以下のような、環境保全、保険休養などの森林の多様な機能を活性化し、循環型社会をめざすための活動を行う組織を創り上げたのである。
@ 林業の当事者として、木材自給率を高めることの重要性を広く人々に知らせる。
A 森林と関わろうとするすべての人々に、林業従事者でなければできない支援を行う。
B 自ら、森林の整備育成を行うことにより、新たな森林の活用方法と施業技術の開発に取り組む。
C それらを通じて、山林労働者の社会的地位の向上にも寄与する。
2.これまでの経過
平成12年11月と12月の二回、県内の異なる森林組合に技能職員として勤務する5名が会合を行い、主に各担当地域での林業全般に関する現状把握のための情報交換を実施。
翌年、2月から毎月1回、主に現状の問題点を各自が提起し、その改善策に有効な情報を持ち寄る形で討議を繰り返す。その間、4月には、県外から参加した林業NPOメンバーから、国有林施業に関する問題点を徴取。また、労働環境と品質改善の専門家を招いた勉強会、森林ボランティアの現状把握の為の活動への参加をそれぞれ数回実施。
11月、岐阜県内で開催されたNPO法人ウッズマンのミーティングに参加する。作業技術に関する情報交換と、各県の森林をとりまく情勢を聴取し、そこで得られた経験を基に、技術交流会の実施を決定する。
平成14年、2月、長野県主催の「ボランティア・NPOのためのリーダー研修・交流会」に参加。安全対策、複層林伐採、偏心木伐採、集造材(主に建築材料として使われている)を主とした技術交流会を合計6日間実施。4月から週一回の討議により、法人化の為の作業を開始。
3.活動内容
信州そまびとクラブでは、山を借りて以下のような活動を行いたいと考えている。「自分で山の手入れをしたいが、ひとりではどうも……」という人々とともに、山の手入れをしたいと考えているのである。商売人の腕をプライドにして、美しい山づくりをして社会に返したいと願っているのである。
@山仕事体験の場−外の世界から山仕事に就いてみようと考える人が多くなっている。そのような人たちは自分にも勤まるのだろうか?と考えている場合が多い。そんなとき、ただ体験するのではなく、商売人といっしょにやった時の汗の量、腹のへり方を感じてもらえれば、具体的な判断材料となると考え、体験の場を用意している。
A森林教育の場−「子供たちが山で遊ぶことが少なくなったが、これでよいのだろうか?」という発想がもとになって、山で働くおじさんたちといっしょに山のものに触れることで、普段の生活では体験できないことを感じ、学んでもらいたいと考え、教育の場を用意している。
B技術交流会の場−同じ業種でも、違う職場のものと仕事をしてみると発見があり、林業の職場では、とくにその効果が大きいと考え、技術交流の場も用意している。
C福祉への応用−これから実証されていく分野ではあるが、森には人々の心の荒みを解消する力があると確信し、ただの森林浴ではなく、積極的に山と関わっていくことで、その効果を大きくすることができるのではないかと考え、福祉への応用も視野に入れている。
4.そまびとクラブの考え
日本の林業の持つ本当の危うさとは、材木が売れなくなることでも、山の手入れが行き届かないことでもない。多くの森林組合において、材木はとっくに破綻している。にもかかわらず、そうした森林組合でも事務職員のボーナスが支払われている。つまり材木が売れなくとも生活に困る人々はあまりない。後継者問題に関しても、「Iターンが定着しはじめた」などと注目を集め、良い兆候として扱われているが、はたして手放しで喜べるものだろうか。丈夫で、自然が好きで、給与に満足できれば、だれでも山仕事を続けることはできる。しかし、自分達の仕事の出来栄えが環境に与える影響について、「それは自分達が考えることはできない」と思っている者も少なくない。
第一次産業全般を見渡すと、当事者の大部分がグローバル化の波に黙って飲み込まれるのは林業界だけであり、その理由は木の所有者と、山で作業し生計をたてているものが異なるという構造に基づいた、責任者不在の形態が依然として受け継がれてきているからである。本当の危機は「構造」にある。
大切なのは当事者意識なのである。地球の環境問題である地球温暖化によって、取り返しのつかない所まで来てしまっている、という自覚のもと、山で働く者ひとりひとりがその抑止策を見つめ直す他に方法はない。
信州そまびとクラブのメンバーは、以上のように考えて、自分たちが「意識ある働き手」となり、自分たちの考える山づくりを行っていこうと考えているのである。国産材自給率の低下も、クラブ自らが問題提起すべきだと考えている。山仕事の真の重要性は、封建的なシステムに守られた既得権にしがみ付くことではない、というひとつのモデルを示せればよい、というのがそまびとクラブの考えなのである。
5.感想
そまびとクラブは、自分達の活動以外に、他の団体の活動にも参加し、環境活動の保全や、林業の可能性を模索するなど様々な事に挑戦していることがわかった。そまびとクラブの人々はIターンから就労し、林業の経験も豊富ということに驚いた。この方たちは森を借りて活動を行っているが、お金やモノでお礼をすることはできないが、美しい山づくりをすることによってお返しするという、すばらしい考えをもっていると思った。
3) @合宿を振り返って
夏合宿では上田の自然について話し合ったが大学の裏山が里山であることは授業で知ったが、それ以上に上田のまわりにある山々がほとんど里山であるということに驚かされた。上田は盆地であり、本当にまわりが山々であるからそのすべてが里山ということは、そのすべてを利用することも可能ということである。可能といっても上田の人がすべて里山に関心を持つわけではないから、ほとんど不可能に近い。
しかし、里山に近い人々が少しずつでも活動をしていけば、より広がっていくのではないかと思う。活動を行う人々がまだ少ない現状だが、里山が好きだという人は意外に多いと思うので、そういった人々にもっと里山に近づけるように働きかけることも大切である。
上田の自然で千曲川の話もあったが、河川敷も荒れているし、人工的にコンクリートで固めてしまったりして、自然のままの千曲川ではなくなってしまっている。子供が遊ぶのに危険なのを避けるためにしたというのもあるだろうが、川が川でなくなってしまうようにも思う。
自然のままにというのも無理だとは思うが、自然のまま残せるところは残してほしいと思う。また、アレチウリなど外来種の植物が、ひどく広がっているのを駆除しなければいけないと思う。見るからにひどいことになっていて、見栄えも悪いと思う。駆除の方法も人手を大量に必要とするようだが、見過ごすわけにはいかず、広がりを抑える努力もしていかなければならないと思った。
A環境問題に対する意識が、ゼミを通じてどのように変化したか。
この1年間ゼミをやって、里山について勉強して里山も利用すれば商売にもなりうるということや、ほかの自然についても様々な問題があるということに気づかされた。里山だけでも、ゴミ問題や、人の手が入らないという問題がある。ゴミ問題は特に、産業廃棄物の不法投棄という重大な問題がある。人間の勝手なエゴによって捨てる場がないからといって山に捨てたりしたため、山に大量の産業廃棄物が置き去りにされている。捨てられた場所の木々や植物は育たなくなり、そこら一帯はただの荒れ地になってしまう。作り出したのは、人間なのだから、人間が処分の仕方もきちんと考えなければいけないと思う。
里山も人間が造りだしたものであるから、人間が好き勝手に使っていいというものではないと思う。いくら造りだしたとはいえ、もともとは自然の一部である。人間は後から入って自分たちの住みやすい環境に変えただけである。
人の手が入らないという問題は里山が本来、自然のサイクルで木々の生長を行ったりしているのが、人間が勝手に変えてしまったためにサイクルが変わった影響もあると思う。しかし、今は人間との共生の中で里山もある。人間がいなければ里山の枯れてしまう。人が間伐などをしてあげることで成長できない日陰の木々なども成長できるようになる。里山も人が手を加えてあげれば、動植物も増えて人にとっても植物が増えたりして、いいこと尽くめではないかと思う。
人間は自然にあるものを利用して様々なものに変えることができる。里山にあるものを使えば、木を建物に変えたり、食用のきのこを使ってアイスなどにしたり、動物は食用になるし、人間の利益になることは多い。人間の気持ち一つで損にもなるし、得にもなる。身近な環境について勉強しただけで様々な問題、利点があるということを教えられた。環境問題ついての関心もこれまでよりも広がったし、身近にある物から大切にしていかなければならないと思った。
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誰もが通える里山学校
窪田 圭助
1. 東山(里山)整備作業から感じたこと
私は授業の一環で10月に行われた、東山の森林整備パートナーシップ事業に参加した。その日は間伐を中心とした作業で、私にとっては森林整備する上でこれが初めての経験であった。さっそく現場に着くと、長い間散髪をしていないような頭の様に木々がたくさん伸びていたのだ。割と太陽の光が入っていない状況なので、光合成がしにくいのだろう。チェンソーの使い方の説明を受け、各自が用意されたノコギリを持ち作業が始まった。間伐といっても適当に樹木を切っていくわけにはいかない。樹木を切るという事よりも、どの樹木を切って育てやすいスペースを作る事が重要である。間伐はとても体力だけではなく、頭も使う作業だなと実感した。実際、切っていく樹木を赤いマーカーを付けていくのだが、私の選んだ樹木は切ってもよい樹木ではなかった。樹木がこれからどのように成長していくか、またどの方向に伸びていくかという将来性をも考えなければならないのだ。
樹木や植物などが成長しやすい環境は大切である。またそういった環境に私たち人間が整備していく事も欠かせない。しかし、すべての里山が同じことを言えるとは限らない。その例として、森林ジャーナリストの田中淳夫氏はこう言っている。「マツという木は強い木とされている。ほかの木が育たないような痩せた土地でも育つからだ。それはマツタケと"共生"しているからである。その源になるのが菌なのである。キノコやカビが生えるところは土壌が菌で豊富であり、菌類が樹木と"共生"して支えているという証拠でもあるのだ。里山には樹木や植物の他にも、菌類という仲間も認識する必要がある。」と言っている。(『里山再生』洋泉社、2003年、p139〜144までの要約)この本を読むまでは、菌類が樹木と"共生"しているという、里山の中でも大きな役割を果たしているとはほとんど思っていなかった。そうなると、菌類が"共生"しやすい里山環境も必要となってくる。荒れていたり、痩せている土地を植林して緑地化するだけではなく、マツやマツタケがある痩せた土地を守る事も大切だ。これも日本の本来の里山の一部ではないか。
2. 誰もが通える里山学校 (やまぼうし自然学校の紹介)
NPO法人やまぼうし自然学校
森林・生活文化の再生と継承子どもたちを自然の中へ
〜NPOが展開する市民社会を目指して〜
@)やまぼうし自然学校の概要
人は歴史の中で自然を壊さず、森の恵みを得ながら生活してきたが、環境が壊れていく現代の状況は、ここ数十年森や自然と関わらなくなってしまった事が原因の一つである。身近な里山を見ても、人が入らなくなったため荒廃した森林が目立つ。荒れた森はその機能を十分に発揮していないのだ。そういった森林の再生については長い時間と人々の理解が必要である。
周りの環境を考えていくとき、森林をはじめとする自然環境を上手に利用しながら残していくという、保全的な視点がこれからは必要である。代表理事は毛受俊郎氏。事務局は長野県須坂市峰の原高原にある。
A)NPO法人やまぼうし自然学校の社会的使命
◎自然や環境、森林や林業への理解を一般化していくこと。
◎子どもたちが思いきり遊ぶことのできる里山を再生していくこと。
◎地域の自然の中で子どもたちの様々な活動をサポートするために行政・地域との協働を推進すること。
◎地域の産業と結びついた、地域振興につながる展開を行うこと。
◎「自然学校」が継続的に若い世代の就業の場となりえるような社会的・経済的基盤の整備をおこなうこと。
B)活動内容 <21世紀が教えてくれること>
大量生産・大量消費・公害・自然破壊・ゴミ問題・戦争など、これらは21世紀の負の遺産。環境保護・情報化・電子化・バーチャル体験・グローバル社会、これらは21世紀の人類に不可欠なキーワードである。この21世紀の荒波を子どもたちが乗り越えるには、"原体験"=子供のころに自然から体験したことや知識が重要になってくる。しかし今は"原体験"を持つ子どもたち、そしてそれを伝えない大人たちがいないのが現状である。
「やまぼうし自然学校」では、森林環境教育・森林体験学習を通し、"原体験"を大切に考え子どもたちの未来に貢献できるように考えている。
C)主なプログラム(やまぼうしフォレスターズ倶楽部事業)
・観察研究プログラム 例)森の土壌調査‥森林の足元に目を向け、森の仕組みを実験を交えながら調査
・チャレンジプログラム 例)ジャム作り‥信州ならではのくだものを使った無添加のジャムを作る
・トレッキングプログラム 例)スノーハイク‥かんじきやスノーシューを使って雪の森をハイキングする
・冒険プログラム 例)木登り探検‥森の奥の巨木に登って鳥の目で森をみてみる
・自然体験プログラム 例)リュージュ・ソリ体験‥自分でソリを作成し、雪のコースを設定してリュージュを体験
・里山体験プログラム 例)森林ボランティア体験‥森林整備(間伐、下刈り、植樹)など森林維持するための体験と活動
・クラフトプログラム 例)チャコデオ‥炭(チャコール)を使った消臭効果の高い小物作り
D)活動実績
NPO法人やまぼうし自然学校は、幼稚園から大学、企業、官庁、自治会、子ども会、サークルまで妬く200団体以上の活動実績がある。年齢や人数、学習内容など様々なニーズに対応出来るよう準備している。
E)関連事業
自然豊かな信州のフィールドを利用し色々な事業を行っている。主な活動場所は次の通りである。
戸隠ふれあいの森・菅平環境学習の森・湯の丸国有森・湯の丸天然カラマツ林・上田東山
F)関連事業紹介
自然をまもり‥
○ 森林整備ボランティア事業
森林は「二酸化炭素の吸収」、「豊かな生態系」、「国土の保全」、「大気の浄化」、「緑のダム」、などその果たす役割りは計り知れないほどある。しかし里山といわれるかつての薪炭林や人工造林した山が荒れているのが現状である。例えば都会から信州へやってくると、山々は緑におおわれて豊かな自然だろうと感じる人は多い。しかし森の中はつるや密集した潅木のため入りこめず、さらに間伐がすすんでいない森は太陽の光も差し込まない暗い空間だ。陽が差し込まない森は林床に草も生えず、土壌の流出で地力の弱い森林になっている。今、各地で「森にかかわりたい」、「森林整備ボランティアをやってみたい」というように森への関心が高まっている。やまぼうし自然学校は、戸隠森林植物園ボランティアの会、森と水の会の三者で『戸隠ふれあいの森
森林整備協議会(会長 水上憲宗氏)』を結成し、継続的な森林保全活動を開始。道具の安全な使い方、メンテナンスなど作業の安全性も内容に盛り込み、活動を進めていく。 また森林作業だけでなく、森林観察会、森の音楽会などの企画も計画中である。
○ 森林・環境コンサルティング事業
○ 自然保護レンジャー
自然をまなび‥
○ 森林環境教育事業
○ 森林インストラクター養成事業
年に1回全国5ヶ所で開催される試験。試験の科目は「森林」「林業」「森林内での野外活動」「安全と教育」から成り立つ。合格すると全国森林レクレーション協会の森林インストラクターとして登録される。やまぼうし自然学校の自然案内や森林ボランティア活動でよりレベル高い活動が実践継続できる。
○ CONE自然体験活動リーダー養成事業
○ オリジナル教材開発
自然であそび‥
○ やまぼうしフォレスターズ倶楽部事業(主な活動は2−1を参照)
会員の種類と費用
賛助会員 正会員
主な内容 ・倶楽部・イベント参加/活動・こどもだけの入会も可能 ・倶楽部・イベント参加/活動・NPO法人やまぼうし自然学校の事業運営に積極的に関わっていける人・総会での議決権※1※1家族・団体でも議決権は1つだけとなる
| 賛助会員 | 正会員 | ||
| 入会金 | ¥2000 | ¥2000 | |
| 年会費 | 個人 | ¥3000 | ¥10000 |
| 家族 | ¥4000 | ¥12000 | |
| 学生 | ¥2000 | ¥8000 | |
| 団体 | ¥10000 | ¥30000 | |
| ジュニア | ¥1000 | なし |
引用 やまぼうし自然学校HPより
○ グリンツーリズム事業
○ ネイチャーフィーリング事業
自然の恵みを‥
○ ネイチャークラフト事業
○ クラフト教室
○ バイオマスエネルギー研究
G)感想
やまぼうし自然学校を調べていて感じたことは、里山が持っている機能をあらゆる角度から最大限に活かそうとしている。森林を守りながら、自分たちも学び楽しむ。また経験や知識の恵みをもらう。里山は一人の人間のように扱い、共存していく姿勢がとても感じられた。私たちが今生活していて、必要なものを気づいていない人がたくさんいる世の中である。また身近にある里山=自然という大きな財産があるということも、見つけていない人は多いだろう。それをこの「やまぼうし自然学校」は教えてくれるだろう。
H) まとめ
このゼミで里山について1年間通じて勉強してきた。私はこれからも里山については関心を持ち続けていたいし、関わっていきたい。まず行っていきたい事は、実際に里山に入って楽しみたい。森林浴でリフレッシュしたいとも思うが、童心に戻って自然と遊びたい。この前、私は実家の近くの裏山に入った。少し登っていくと竹やぶがある。私は竹に登りたくなり行けるとこまで登ってみた。とても楽しくて、懐かしい気分になれたのである。また竹の頑丈さに驚いた。直径10センチぐらいの太さだが、私が登っても少し撓るだけで、折れることもなく私の体をしっかりと支えていた。その経験が私の知識と変わっていったのである。
里山で遊ぶというのは、探せば探すほど遊びが出てきて限りなく楽しめる魅力がある。なぜこういう事が言えるかというと、私の里山経験があるからだ。小学生の頃を中心に、学校の近くの里山で数え切れないほどの遊びをしてきた。秘密基地を作ったり、つるを使ってターザンごっこをしたり、時々ケガもしたがそれでも行きたくてしょうがなかった記憶がある。里山または自然で遊ぶという事は一生かかっても、遊びきれないと私は思う。だから、これから時間ある時は近くの里山に入って気分転換をしたい。もし機会があれば今回紹介した「NPO法人やまぼうし自然学校」のように、あらゆる角度で自然と向き合い、学び楽しんでいく事を進んで行いたいと思う。今回のゼミで人間にとって自然は生きていくうえで、欠かせない大きな一つである事を改めて実感した。鉄筋コンクリートの中やアスファルトの上よりも、木造の中や土の上の方が人間らしく生きていかれる、そんな気がした。
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里山再生と循環型社会
上野 雅生
@ 『里山再生』を読んで
里山の現状を知るために私たちが読み進めていった『里山再生』では、里山とは何か、ということからその里山が危機にさらされていること、里山の可能性などを学ぶことができた。『里山再生』の中で語る著者・田中淳夫氏のアイディアはとても斬新なもので、私の里山に対するイメージを覆すものであった。
里山は自然を人間が利用しそれがまた自然保護につながるというもので、システムなのだという。中でも「里山はゴルフ場が守る」p201、ということには驚かされた。ゴルフ場の5、6割は自然環境であって、人が手を加える頻度もちょうどいいという。そこには外部では見られなくなった植物や鳥類が確認されたり、絶滅危惧種も見つかっているという。本来ゴルフ場とは自然保護とは相反するものであるのだが、自然を利用することによって維持するという観点からすればゴルフ場を里山システムを復活させるための手段の一つとして考えられるのではないかというものだった。
「緑のダム」の微妙な効果、という項目では「植物にダムの変わりが務まるほどの機能はない」p125、ということをいっている。洪水防止策として森林整備をするべきだ、とダム建設反対者はよく言うのだが、それに対して著者は疑問を投げかけている。森林や土壌が水を溜められる量は微妙なもので大水を防ぐ効果は少ないという。著者はダム建設反対派なのだが、一般論にとらわれないで、さまざまな角度からものを見定めていることはすごいと思う。
さらに今、里山再生の担い手として考えられる森林ボランティアというものがある。しかし、彼らの努力は「量的にはほとんど意味をなさない」p164、という。とてもショッキングなことだった。ではいったいどうすればよいのかと消極的になってしまう。この本で里山再生のために著者が言っているのは、そこそこ儲ける、ということだった。お金にならないボランティアでは限界があるだ。
里山はシステムでなければいけない。かつては山と人は密接に関わってお互い共存関係にあった。今日では林業で生計を立てることは難しく、里山を甦らせるには昔のようなやり方では不可能なのだ。これからは今までの里山観にとらわれない、新しい発想が必要なのだ。里山から農村を活性化させることや、癒しの場としての活用、里山を商品化するなど現代社会にあった活用の仕方が必要なのだ。この本はそのためのアイディアがたくさん詰まったものだった。
A 森林サポーターの会
信州森林サポーターの会とは菅平高原にある三日城の森で活動している住民参加型の森林ボランティア団体である。森の中で木を切るということだけではなく、炭焼きや森の散策、時には森の中でのコンサートなども行っていてエンターテイメント的な活動も多く、一般市民が参加しやすいボランティア団体といえる。また、ほかの団体との連携も強く、中でも福祉ボランティア団体との活動では森林を新しい形で福祉の面から活用している。
創設にいたるまで
「信州森林サポーターの会」の前進は「三日城の森を守る会」
「三日城の森を守る会」は菅平高原南端にある三日城地籍の財産組合所有林が過去のスキー場開発構想が挫折した後、その森林自体の持つ魅力を何とかそのまま維持しながら多くの人にとっての森林と触れ合う場にすることはできないかと、現会長の小山孟によって立ち上げられた。
一方、現代表幹事はそれまで関与してきた森林環境系NPO法人の、NPO活動の本質と一般的なビジネス思考の融和に違和感をおぼえ関係を解消。もともとの仲間である小山氏ほか数名で、「三日城の会」を発展的に解消して2001年秋に「信州森林サポーターの会」を立ち上げる。
活動理念
「森林サポーターの会」はあくまでも地域活動を重視して都市住民と山村住民とのコーディネーターとなることや、数ある森林ボランティア団体・市民活動団体のうちでも特に素晴らしい活動を展開される団体や人を結びつける接着剤役になることが主たる理念であり、目標である。
また社会福祉協議会や障害者支援組織と連帯しての森林のバリアフリー化を意識した福祉ボランティア活動にも参加している。
・森林のバリアフリー化とは
「森林サポーターの会」が考えるバリアフリー化とは森林に車椅子でどんどん入っていけるようにするなどということではなく、森林セラピーなどの森林の持つ癒しの効果を、障害者と健常者がともに満喫し、お互いの足りないところを補い合う場として森林を福祉という面から活用しようというものである。
行うきっかけとなったのは上田市の住民団体で障害者対象に毎年夏休みに千曲川で川遊びをさせている青い絆の会と交流を持ったことからで、この会が川だけでなく森林でも同様のことやってみたいとのことで相談を持ちかけられたことが契機となって毎年実施しようということになったものである。
この活動について会は森林に何か施設を設置したりとか特別なスタッフを要請したりとかいうものではなく、言ってみれば森林に集う人々の心のバリアフリー化を目指すものと考えている。
・もう一つのバリアフリー化
「森林サポーターの会」では森林のバリアフリー化ということに関してもう一つのことを考えている。それは所有者・非所有者のバリアフリー化である。森林には全て所有者がいるのだが、特に里山と呼ばれる地域は個人所有者が多く、昨今の林業上の事情によりそうした所有者があるという事実そのものが多くの人々を森林に携え入れることの障害となっている場合がある。森林の公益的機能のうちでも景観林・環境林としての側面からの利用という点につき、所有権の枠組みを超えた森林の利用が促進されるべきであると考えている。
会員になると
・不定期ですが開放(ニューズレター)を発行いたします。
・不定期に見学会や各種研修会、森林イベントのご案内をいたします。
・林業機械や道具をはじめ、森林で遊ぶグッズを斡旋いたします。
・「鼓滝の森林」と「くまさんの森林」を自由にお使いいただけます。
・その他、サービスを広げていきます。
※これまでに長野県森林ボランティアリーダー研修、グリーンカレッジグリーンボランティア通信研修などに会員を推薦し受講していただいております。
会員数
会員登録者数は22名ほど。実際に常時活動するメンバーはどこでも似たり寄ったりだが数名に過ぎないとのこと。
会費
団体賛助会員: 年会費 50000円(入会金はありません。)
個人運営会員: 年会費 5000円( 〃 )
個人一般会員: 年会費 2000円( 〃 )
特別会員 : 年会費 無料( 〃 )
※特別会員とは当会が関係する一般的な情報を電子メールにて受け取ることができる会員
活動内容
「森林サポーターの会」では週一回のペースで活動が行われている。内容は森の中での作業から炭焼き、フォーラムの参加など多様で、またほかの森林保全活動団体との交流も盛んで活動理念に沿った活動が行われている。
林業志向が強く技術を磨いてがんがん作業などをこなしたいという人
長野県林業士*やグリーンマイスター*の資格を持つ林業のベテランの指導のもと、間伐や下草刈りなどの本格的な林業体験ができる。
他の森林団体との共同作業や高校生を招いての林業体験教室も行っている。また、森林環境整備の一環では、森林内に流れている川に木材運搬車が通れるような丸太の橋を架ける作業が行われており、大水でもあれば流されるような工夫がしてある。森林の多目的活用ということから国道との境界線にはソバなど様々な木が植えられている。ほかにも生物の多様性を考えて森に池を作ったりもしている。
個人、ファミリーを問わず森林で遊ぶことが好きという人
最近、山菜取りのマナー低下が問題視されるようになってきている。このことも踏まえ森林インストラクター*や長野県森林観察インストラクター*などの有資格者と一緒に山に入り、山菜やキノコを採りながら山の知識を深めるといった企画も行っている。また、菅平の専用フィールドには本格的な炭窯があり炭焼き体験ができるほか、製材加工ができる機材もあるので、木工クラフトやログキャビンづくりも体験できる。
NPO法人「遊び塾 with you with me」の活動の場として森を開放するなど様々な団体に活動の場所を提供している。福祉ボランティア団体「青い絆の会」との活動では、もともと知的障害児と川で遊ぶという活動をしていたが、森でも同じことができないかと考え森林のバリアフリーということを考えるきっかけとなった。また「森を守ろうコンサート」といった森林内でのコンサートも行っている。
何らかの問題意識を持って森林に関わることで答えを得たいという人
様々な団体の活動や勉強会に参加化している。また、公的な機関が実施する研修会等の案内を会員にお知らせし、参加を促している。そうしたことで一人一人の活動の質をレベルアップすることもこの会の重要な活動の一端としている。
* 長野県林業士 地域の中核的林業経営者及び地域林業振興のリーダーとして活躍することが期待されている方々。
* グリーンマイスター 林業作業士のこと。
* 森林インストラクター 自然環境教育を目指す森の案内人です。自然と森林のしくみ、森林づくりと林業、野外での活動、教育の方法、安全対策のすべてについて一定レベルの知識を持った有資格者。 『全国森林インストラクター会』ホームページ参照
* 森林(自然)観察インストラクター 長野県では、県民が自然に親しみ、学習する機会の充実を図るため、植物、鳥、昆虫、星座等の知識をお持ちの方を「自然観察インストラクター」として登録している。
B 一年を振り返って
長大の裏山で山火事が発生した。学生による焚き火が原因だった。冬の乾燥した時期でちょうどその日は風も強かったという。なぜそんな日に焚き火なんかしたのか、火が広がり山火事になるのは目に見えているではないか。最近の若者はそんなこともわからないのか。長島教授の若者に対する疑問がきっかけとなって始まった専門ゼミでは「里山から循環型社会を考える」というものだった。私はキャンプや登山などのアウトドアが好きで以前から森や山や木といったものに興味があり、ただ遊ぶだけでなく自然を守るといったような活動に参加してみたいと思っていた。そして、このゼミができる前の年に長島教授が会長を勤める「森林パートナーシップ」にボランティアとして参加したことがきっかけとなって長島専門ゼミを受講することになった。長島専門ゼミでは教室の中での学習以外にも、実際に森の中に入り間伐や下草狩りなどの作業や、シイタケの駒討ちなどのフィールドワークもあり、いくつもの思い出の残る一年間だった。
ゼミ合宿は菅平高原にあるペンションで新鮮な空気の中、リラックスモードで学習を行った。後で知ったことだがペンションのオーナー・福永さんは「ニッポンこどものジャングル」という活動団体の創設者で長大でも講演をしたことがあるという。楽しみにしていた夕食では地元の食材をふんだんに使った鍋料理で、中でも雑穀の入った原始米のご飯はとても美味しかった。夕食後にはコンパが行われた。このゼミには女の子の受講生はいないのであまりそそるものではなかったが、代わりにシモネタトークで盛り上がってしまった。少々時代を感じたが長島教授の女口説きテクも学ぶことができ、ためになる酒盛りだった。翌日、長大で行われる夏期大学「やまびこフォーラム」に参加した。合宿の直前に参加が決まりせっかくの合宿を早めに切り上げることになってしまったため、正直あまり乗り気ではなかった。しかし、滋賀県知事の公演のあとに行われた里山分科会でのディスカッションでは、様々な森林団体の話しを聞くことができ視野を広げることができた。この分科会の模様は翌日の新聞に掲載された。
このゼミの一年を通して振り返ってみると実にアットホームな感じだったと思う。長島教授の人柄もあり、楽しくディスカッションすることができた。たまに授業とは関係のないことで会話が盛り上がってしまうこともあったが雑学も人生を豊かにするために必要な要素だと思う。ゼミでのことは大学時代の思い出として強く残ると思う。また、このゼミのテーマである里山再生は、国土の約70%を森林とする日本にとって近い将来無視することはできないこととなるのではないかと私は思う。これからもこの国に生きる者として、日本の可能性について新しい考えを持つことができた。私はこのゼミで学んだ「里山から循環型社会を考える」ということを直接に形で今後の人生に生かしていきたいと思う。
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〔卒業生レポート〕
住民のために
橋 宗明
私の出身地は群馬県中之条町である。中之条町出身の著名人といえば、故小淵恵三元内閣総理大臣がいる。小淵元総理が行ったこととして思い浮かぶのは、2000年の九州・沖縄サミットを記念して二千円札を発行したことだ。ところが、自動販売機で使えないとか、他のお札と間違いやすいという理由により不人気で、あまり出回っていない。現在、私が住んでいる北海道天売島では、他の地域に比べて二千円札は出回っていると思う。それは、私が積極的に使っているからだ。私から受け取った二千円札をその後どうしているかは定かではないが、私が島内でおつりとして二千円札を受け取ったことは、ほとんどない。なぜ、私が二千円札を積極的に使っているかといえば、地元出身の総理大臣の意志を継いでいこうということや、二千円札を受け取った時の反応が楽しみな好奇心によるものである。
今年の1月まで中之条町の町長をしていた小淵光平氏(73)は、小淵元総理の実兄である。今回の選挙で、新人の入内島道隆氏(40)に敗れた。群馬県は保守地盤の強いところである。とりわけ中之条町では、小淵光平氏の父が町長になって以来、衆議院議員選挙でも、小淵恵三氏、その後を継いだ次女の小淵優子氏と、約半世紀に渡って選挙といえば「小淵」という構図があった。
入内島道隆氏は「中之条新時代」をスローガンに、産業の発展、消費の拡大、人口増加という正の循環を作り上げることを柱としたマニフェストをつくり、女性や若者の支持も多く集め当選した。草の根選挙が、従来の組織型選挙に勝つ図式は、県都前橋市長選挙でもみられ、70歳の現職が53歳の新人に敗れた。地方でも、イメージ戦略による無党派層の動きによって結果が決まる都市型選挙が広がりをみせている。
本来選挙は、住民の代表を選ぶものであるから、多くの住民の意思が反映した結果になるはずである。住民が何を求めているのかを敏感に感じ取り、それを踏まえた政策を打ち出すことが当選する近道であるはずだ。ところが、地方選挙では様々な利害関係や地縁血縁によって投票する人を決めることが珍しくない。首長になれば、様々な実権を握ることができる。当選後それを自分のために使うのか、住民のために使うのかが、支持を得るのか失うのかの分かれ目になる気がしている。
小淵元総理の二千円札発行という政策は、単なる思いつきという話もあり、国民にはあまり受け入れられなかったようだ。同じく単なる思いつきではといわれているのが、田中康夫長野県知事の長野県を「信州」に変えようという考えだ。「信州県」ではなく「信州」だそうで、都・道・府・県以外の新しい名称の誕生には地方自治法の改正が必要になるという。たとえ、信州県への改名でも住民投票や特別法の制定が必要とのことだ。
法律をつくるのは国会の一番の仕事である。国会議員は国民の代表として選挙で選ばれる訳だから、法律にも多くの国民の意思が反映されるはずである。多くの国民の望む法律がつくられ、それに基づいて、多くの国民・住民の意思によって政治が行われる。
我々のような転勤のある公務員は、赴任した地域の住民の考えていることや望んでいることを的確に判断することが求められる。田舎に行けば行くほど、その地域に溶け込んでいくことがまず必要で、その基盤の上に仕事が成り立つ。そうすることで仕事もうまくいく。受け入れられることは、時には仕事を放棄してでも、絶対に必要だ。
私の初任地で、私が転出した後に赴任した警察官が、地元の国道の追い越し禁止区間で違反をした車を取り締まった。その車の運転手が、その地域の住民だったため、地域の中でその警察官に対する風当たりが強くなった。そして、駐在所の窓ガラスが割られ、嫌がらせを受け、普通2年間の勤務のところ、1年で転勤してしまった。警察官が、交通違反の車を取り締まるという本来の仕事を執行したことで、住民から非難を受け、その地域にいられなくなったのである。田舎のよいところの一つは犯罪が少ないことで、大都市の勤務に疲れた警察官が、地方の駐在所勤務を希望して赴任してくる例もよくあるそうだ。しかし、田舎の警察官には、大都市とは違った苦労がある。
私の住む天売島でかつて勤務していた警察官が、島民の交通マナーの悪さを淡々と話してくれたことがあった。飲酒運転の常習化、シートベルトはまずしない、ノーヘルメットのバイクなどなど。その警察官は、その後の人事を有利にするためのステップとして島に赴任したので、黙って所定の2年間が過ぎるのを待つと言っていた。その2年間が間もなく終ろうとしていた頃、酒の席で一緒になったが、谷村新司さんの「遠くで汽笛を聞きながら」を淡々と歌っていた姿が印象的だった。その歌の歌詞の一部に「何もいいことがなかったこの街で」という一節がある。それを言いたいがために、その歌を選曲したことはまず間違いないだろう。
別の警察官は、こんなことを言っていた。「島民の皆さんが飲酒運転をしているのは知っています。(事故が)何もない限りは私は何もしません。その代わり、何かあったときはしっかり対処します。」警察官が地域の酒の席に同席することもよくあるが、その警察官はまっさきに帰るか、他の参加者が全部帰ってから帰るかのどちらかで、自分の目で飲酒運転の現場を見ないようにしていることが伝わってきた。
我々の同業者でも同じようなことがあった。島民やその子供の言葉遣いやマナーの悪さに立ち向かって指導を強化したが、島民の反発を買い、いやがらせを受け、生活しづらくなった。また、その後の人事を有利にするためのステップとして島に赴任した教員もいた。
私は、天売島の悪口を書いているのではない。私は、好きでこの島に赴任したので、島のよいところもたくさん理解しているつもりだし、島も好きだ。
先日、私の勤務先で行われた講演会で、天売診療所の先生の話を聞く機会があった。その先生が、地域医療やへき地医療で大切なこととして、地域の人が医療に何を求めているのかを考えること、地域の人の目線に立って考えることの二点を挙げていた。事実、その先生はそれを実践しており、島民の信頼も高い。それまでの診療所の先生が、あまり島民に受け入れられてなかっただけに、その反動としての期待感も大きいのだろう。島の診療所では対応できなくて大きな病院に転送することはよくある話だが、その先生に診察してもらいたいがために島にやってきた人もいることからも、その先生の信頼度がわかるだろう。
公務員は全体の奉仕者なので、どこでも分け隔てのない仕事をすることが求められる。転勤があるのも、一ヶ所にとどまる事による弊害を少なくするためだろうと思う。公務員には日本国憲法を尊重し擁護する義務がある。法律にしたがって職務を執行する必要がある。
一方で、地方分権の進行や、特色ある学校づくりなど、地域に根ざした取組も求められつつある。それが、法律や各種きまりに基づいた上でのことであることは言うまでもない。そのへんのバランスが難しいところだが「住民のために」という視点は揺るがない。
二千円札は住民のためになったか、故郷中之条町の新町長は住民のために何をするのか、長野県を「信州」に変えることは住民のためになるのか、我々公務員はその地域住民のために何ができるのか、何をしなければならないのか。天売に9年間もとどまり、公的にも私的にもその弊害も見えてきた(もちろん弊害だけではない)。新天地へ向けての準備もどんどん進めなければならないのに、"The Moustache"への投稿をこれまで欠かしたことがないという心が、最近の出来事から思うことを並べてこの原稿を書いた。
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国立長野病院の医療事故を考える
中村 沙絵美
はじめに
2003年9月、国立長野病院で、その事故は起きた。いや、起きてしまった。須山泰敬(やすひろ)君は、頭にうみがたまる脳膿瘍(のうよう)の摘出手術で、頭部に血液吸収綿を置き忘れられた。翌日、その綿を取り出す緊急再手術を受けるため、2日連続の全身麻酔をかけている最中に血圧が低下し、心臓の鼓動が停止。心臓マッサージで心臓は再び動き出したものの、意識は最後まで戻ることはなかった。2003年9月14日、少年は医療ミスにより、15年間の短い生涯を閉じた。
長野県に住む人なら、この記事を目にしたことがあるだろう。信濃毎日新聞に連載された「防げ医療事故『15歳の命はなぜ失われたか』」である。私は学生時代の2年間、国立長野病院の調査に携わってきた。1999年度には長島ゼミナールで、2000年度には卒業論文のテーマとして、長野病院を調査したのだ。ゼミでは「国立長野病院の患者満足度調査」、卒論には「職員満足」も加えた。それらの調査で、医師の説明不足や暴言ともとれる発言、人手不足など、様々な問題点が浮かび上がった。そして、調査結果をまとめたゼミ論集は、病院の古い資質を打ち破り、新たな風を吹き込む報告書になるはずであった。しかし、最悪の事態が起こる前に警告を発したこの報告書は、まったく生かされてはいなかった。
T.幸せな家族の時計が止まった日
1. 医療事故の検証
まずは、なぜ15歳の命が失われたのか、信濃毎日新聞の連載にそって検証したい。 2003年7月25日、その少年は頭痛を訴えた。かかりつけの上田市内の医院に通い、連日点滴を受けたが、38度以上の熱が続いた。この医院の医師は「国立長野病院で精密検査をしてもらってください」と母親に告げた。8月12日のことだった。その日のうちに、紹介状を持って、国立長野病院で受診。診断の結果を脳外科医は、頭にうみがたまる脳膿瘍だと説明し、入院をすすめた。
少年は3歳の頃から東京女子医大病院に通っていた。8月28日にも、心室中隔欠損症と肺高血圧症の定期検診のため、女子医大病院に行く予定であった。少年は、「東京の病院に行きたい(入院したい)」と主張したが、両親には自営の仕事があり、東京での入院生活は難しかった。その日の夕方、少年は長野病院脳外科病棟に入院した。
8月20日、手術が行われた。この日受けた手術は、うみがたまっている部分に管を通す「ドレナージ術」。術後に時間をかけて、うみを管から排出させる方法だ。この手術は局部麻酔で行われることもある。しかし、医師の説明がまだ良く理解できないことなどから、手術中の協力が得られないとして、肺高血圧症を抱える少年にとってはリスクの高い全身麻酔が選択された。
術後の検査で、頭部のうみは手術前より増大傾向を示していた。検査の翌日には、再手術をして、うみを直接取り出す方針が両親に伝えられた。手術では再び全身麻酔になる。だが、この手術が思わぬ事態を招くことになる。
9月3日、開頭した上で、直接うみを取り出す手術が行われた。今回の手術で、膿瘍はきれいに取り除かれた。両親は安堵感に包まれたまま、帰宅した。
手術は無事、終了したかのように思われた。しかし、病院では重大な問題が持ち上がっていた。手術後の頭部のエックス線写真に、小さな異物像が映し出されていたのだ。それは、頭部に置き忘れられた血液吸収綿。明らかなミスだった。だが、病院側はその事実をすぐに両親には伝えなかった。
翌日(9月4日)、病院を訪れた両親は、血液吸収綿の置き忘れがあったこと、そして再度手術することを告げられた。その日の午後、綿を取り出すため、2日連続の全身麻酔し、緊急再手術を始めたところ、突然血圧が低下し、心臓が停止。綿は取り出されることなく手術は中断し、集中治療室に戻った。そして、9月14日、還らぬ人となった。
2. 浮き彫りになった問題点
誰もが不安を胸に向かえる入院初日。看護師からは「入院案内書」が手渡され、「読んでおいてください」と言われただけである。少年の家族構成や性格も聞きに来ないうえ、トイレの場所などの説明もなかった。看護師はとにかく忙しそうで、お願い事をするにも、その姿を探さなければならなかった。
手術の説明に関しても、不安は募る。心臓疾患のある少年の父親が、「東京女子医大からは全身麻酔は危険と言われています。大丈夫でしょうか」と質問しても、この医師は直接質問には答えていない(病院側は否定しているが)。また、母親が循環器科の医師に「東京女子医大からこれまでにもらった資料を見ますか」と聞いても返事はない。さらに「女子医大に問い合わせてもらえますか」と頼んでみても、返答はなく、「この先生、分かっているのかな」と不安を感じる。
循環器科の医師は、脳外科への診察結果の「返書」の中で、「(脳膿瘍手術には)心機能的にはなんとか耐えられると思いますが、麻酔中の肺出血のリスクなどが心配です」と記している。この診察結果をうけ、脳外科、循環器科、麻酔科の医師が集まって、手術のリスクを検討したことは「一度もなかった」ことが、後に明らかになった。
うみを直接取り出す開頭手術でそれは起きた。膿瘍はきれいに取り除かれ、手術は成功したかのように思われた。しかし、血液吸収綿の置き忘れという、明らかなミスを犯していた。しかし、帰宅した両親に、その事実が伝えられることはなかった。「医師たちは『両親を呼び戻すのは気が引ける。明日説明すればいい』と考えたようだ。しかし、この日のうちに両親に報告しなかったのは、病院側の怠慢で、ミスだった」(武藤正樹副院長)と認めている。
翌日。母親は自らのかかりつけの病院で診察を受ける日に当たっていた。出発前、少年の様子を見に寄った長野病院で、綿の置き忘れがあったことを両親は知る。そして、再手術はその日の午後行われることが、5分程度の説明で伝えられた。かかりつけ医の診察を終え、長野病院の近くまで来た午後3時前、父親の携帯電話が鳴った。「3時15分から手術を始めます」。長野病院からだった。「ちょっと待って。あと少して着くから」。「間に合わなくても先に手術を始めます」と言い、電話は切れた。
病院に駆け付けた両親に、初めて会う医師が自己紹介した。麻酔をかけるこの医師に、母親は「今日も全身麻酔をかけて大丈夫ですか」と尋ねた。両親の記憶によれば、医師は「昨日より強い麻酔をかけます」と答えた。「どういうことですか」と詰め寄る母親に、医師は「リスクは高いです」と告げたのだ。驚いた母親は詳しい説明を求めたが、医師は答えず、両親の目の前で少年をストレッチャーに乗せ、手術室へ連れていった。
病院側は、麻酔をかけるのは「同じ医師が担当するのがベストだが、ローテーションの関係でうまくいかなかった」とする。また、再手術前の説明も「数分だったようだ」と説明不足を認めている。
後に、執刀した脳外科医は両親に、「過酷な勤務状態だった」ことを告白している。極度に疲労した状態で臨んだ手術で、綿の置き忘れというミスは起きた。
U.裏切られた期待
1. やり場のない怒り
1999年度にゼミで行った「患者満足度調査」の報告書から、患者の声をひろってみる。
入院当日の迎え方で、約1割の患者は不安な気持ちで入院生活を始めている。ある患者は「何を持ってきたらいいのか入院のしおりを渡されただけでは分からなくて、不安だった」と話している。
医師のへ満足度でも、「聞いても満足のいく説明が返ってこなかった」「患者の話しを聞いてくれなかった。患者の質問に対して答えが返ってこない」など説明不足の声が聞かれた。また「引継ぎを上手にしてほしい」など、コミュニケーション不足への不安も上げられた。そして「患者のことは何も考えず、患者の心を無視した治療」を行っていると批判した患者もいた。
看護師への意見として、「看護婦(当時の名称のまま使用)は忙しすぎる。もっと人数を増やしてほしい」「忙しい時には用事を頼みにくく、遠慮してしまうことがある」や、「患者の心のケアをしてあげる時間がほとんどなく、不安になってしまう」など、人員不足との声は共通するものであった。
これらの調査結果は、病院にも報告した。人員不足に関しては、厚生省(当時)で定められている人数であり、病院の努力により改善できるものではないと回答した。しかし、厳しい意見も聞かれた説明不足や、患者の心を無視した言動については、この調査の結果を受け止め、職員の教育にも力を入れる、インフォームド・コンセントの充実など、患者サービス向上を病院側は約束していた。
しかし、実際はどうだろう。今回の記事を読めば、4年前と同じ不満が挙げられているではないか。患者の不満に思う気持ちを汲み上げより良い病院にしていこう、という試みは志半ばにして途絶えてしまったのか。病院の対応に憤り、真剣に取り組んだ調査がまったく無意味なものになってしまった。改善を約束したあの言葉は、偽りだったのだろうか。最悪の結果をまねく前に、警鐘を鳴らしたあの報告書は、いったい何だったのだろうか。やり場のない怒りが込み上げてくる。
2. 改善策は示されてはいるが…
今回の医療事故を病院側は「大いに反省して、事故防止策を基本的な考え方から改めていく」としている。連携不足についても「院内連携は改善する必要がある問題だ」と認識している。インフォームド・コンセントの不足も「今後は、患者には医師の説明が理解できたか、知りたいことは何か、医師には患者に理解してもらったと思うか、をそれぞれ調査し、より具体的で分かりやすい説明に改善したい」と回答した。事故の再発防止策は「血液吸収綿の取り残し対策では、使用した綿の数を数えるスタッフを増やし、閉頭後に手術室でエックス線写真を撮影して確認する」としている。
しかし、これで本当に、状況が改善されるのだろうか。とても、そうは思えない。人手不足が叫ばれるなか、手術室だけスタッフの数を増やすことは可能なのだろうか。4年前、病院側は状況を改めると約束したではないか。同じような言葉を聞かされても、当然、納得はできない。
これまでにも病院側は様々な調査を実施し、患者の声も確かに汲み上げてきた。コインロッカーや水飲み場が設置されたほか、駐車場の料金も値下げされた。しかし、取り入れられるのは物質的なものばかりで、心のケアを中心としたサービスは手つかずのまま残されている。改善策が示されるたびに、これで患者中心の医療を実践する病院になる、と期待する私たちの気持ちは、ことごとく裏切られてきたのだ。
V.「明日は我が身」にならないために
1.医療事故から身を守れ!
悲しいことだが、医療事故防止を病院側に期待してはならないのが現状だ。医療事故に巻き込まれないために、患者が質の良い病院を見分けられる目を持たなければならない。
では、いったいどんなところに注意し、病院を選べば良いのだろうか。医療ミスから身を守る患者マニュアルとして書かれている、伊藤隼也著『これで安心! 病院選びの「掟」111』から見てみたい。
まずは、かかりつけ医探し 6つの掟。
1) 診察のていねいさをチェックしましょう
2) 夜間でもきちんと連絡が取れるかチェックしましょう
3) 経歴をチェックしましょう
4) 適切な紹介先を持っているかチェックしましょう
5) 風邪に対する診察方法でチェックしましょう
6) 薬の処方のしかたをチェックしましょう
信頼できる医師を探すための6つのチェックポイントでもある。患者の表情を見ずに、うつむいたまま症状を聞いたり、検査結果ばかりに気を取られているような医師ではかかりつけ医失格だ。優れた医者なら、患者の不安や苦しみなどに注意深く耳を傾け、患者の症状をより理解しようとしてくれるはずだ。また、経歴のチェックも欠かせない。医療法では、麻酔科以外の診療科であれば、自由に標榜できるため、経験の浅い診療科も掲げている恐れがある。総合病院などで、多種多様な疾患を診てきた、経験豊かな医師のほうが、かかりつけ医に適していると言えるだろう。
次に、インフォームド・コンセント 9つの掟
1) 分かりやすい言葉で説明してもらいましょう
2) 病名を聞きましょう
3) 病状を聞きましょう
4) 診断の根拠を聞きましょう
5) 今後の治療方法について聞きましょう
6) 治療方法は複数の選択肢を示してもらいましょう
7) 自分の体の状態を正確に告げましょう
8) メモをもらいメモをとりましょう
9) カルテ開示について聞きましょう
日本では、まだインフォームド・コンセント自体の歴史も浅く、正しく行える医師は、決して多くはない。ただ、難解な医療用語を並べられて、患者が納得してしまってはいけない。
患者が医師の言葉を理解するには、誰にでも分かるような簡単な言葉で説明してもらわなくてはならない。そして病状が理解できたのなら、今後の治療方法を示してもらう。その際に、複数の治療の選択肢を与えられるということが重要だ。それぞれの有効性や危険性を理解し、十分に検討を重ね、患者自身が選択できるよう導いてもらえば良いだろう。患者側も、自分の情報を正しく伝えなければならない。薬でアレルギーを起こしたことがあるか、大きな病気の経歴など正確に知らせなければ、治療の過程で重大な医療ミスにつながる恐れが出てくるのだ。
患者中心の医療を目指す医師は、コミュニケーションに時間をさき、決して説明をいとわない。良い医師とめぐり逢う努力が、医療事故を防ぐ一歩となるかもしれない。
2.セカンド・オピニオンのススメ
セカンド・オピニオンという言葉を聞いたことがあるだろうか。直訳すれば「第二の意見」となる。主治医とは別の医師に診察してもらい、その結果を聞くものだ。急を要する手術は別だが、時間的な余裕があれば、手術や大きな病気の場合は役立つことになる。
しばしば、主治医に内緒で他の病院を受診し、何度も同じような検査を受けるケースがある。これでは、お金が余計にかかるどころか、検査による苦痛なども二度味わうことになる。セカンド・オピニオンを希望するのなら、主治医に「セカンド・オピニオンを受けたいと思うので、紹介状と病状経過記録を書いていただけませんか? これまでに検査した記録のコピーや、レントゲンなどの画像記録も貸していただけるとありがたいのですが」と伝えよう。それらをセカンド・オピニオンを受ける病院に持参し、必要な検査だけを受けるのが賢いやり方だ。
セカンド・オピニオンでも診断の具体的な根拠を確認することは大切だ。特に元の医師と異なる判断が出た場合には、どちらを信じるのか、納得いくまで十分な説明を求めることが必要となる。
セカンド・オピニオンを積極的にすすめる病院は、自分の病院の医療内容を他の医療機関に公開することになるため、お互いの医療レベルの向上にもつながる。そして、絶対にないとは言い切れない誤診や見落としも、事前に食い止めることができる。セカンド・オピニオンは、医療事故を未然に防ぎ、自分にあった治療法を見つけられる有効な手段といえよう。
W.人は、ある日突然、被害者になる
1.医療事故は3つのタイプに分けられる
多くの医療事故を「医療ミス 被害者から学ぶ解決策」では、3つのタイプに分類している。
1) 「うっかり型」のミス
患者を取り違えて手術した、薬を間違えた、という類のものだ。報道されるケースほとんどがこのミスであるがゆえに、事故の多くはうっかり型であるかのような印象をうける。
看護師が起こす事故が多いことは確かだが、看護師の業務の危険性は、一般に医師のそれよりはるかに低い。患者が死に至るようなミスは、比較的少ないといえる。これに対し、医師の業務はもともと危険性が高い。内視鏡検査で手元がくるって腸に穴をあけたなど、ありがちなミスであるのに、重大結果につながりやすいのが特徴だ。
2)「能力欠落型」のミス
これは、内視鏡検査に慣れていないにもかかわらず、強引な操作をして腸を破った、手術した経験が少ないのに手術して傷つけたなどの事故を指す。そのポストにある医療者なら、当然達していなければならない診療レベルに達していないために生じる事故だ。
能力欠落型の事故は看護師にも起こりうる。うっかり型と同様、重大結果が生じるのは、やはり医師による事故だ。
3)「必然型」の事故
必然型とは,その医療行為を行えば(たとえ名手でも)その結果生じることがある事故だ。例えば脳手術では、開頭しただけで脳動脈が攣粛(ぎゅっと縮むこと)して後遺症が生じることもある。また、薬による重大な副作用も、誰が処方しようと一定の確率で生じるため、その薬を使う必要があったのならば、必然型の事故といえる。
2.全身麻酔「妥当」と判断
再び、国立長野病院の医療事故に話しを戻そう。病院側が依頼した外部専門委員(長谷川友紀・東邦大医学部助教授ら公衆衛生や麻酔、脳神経外科の専門医3人で構成)が2004年2月2日、医療事故の最終報告を発表した。
外部委員は、家族へのインフォームド・コンセントや、医師の連携が不十分だったと認めたが、全身麻酔や再手術のタイミングは「妥当だった」と結論付けた。病院側の責任については、「調査目的の範囲外」として触れなかった。
この医療事故では、心疾患のある少年に連日、全身麻酔をしたことが妥当かどうかが焦点だった。最終報告は、少年が心停止した3回目の全身麻酔についても「通常の確立された方法」と説明。2日連続となった全身麻酔に関しても「妥当な判断」とした。
一方、インフォームド・コンセントについては、麻酔医がほとんど説明した形跡がない、脳外科医が治療方針の理由について説明していないなどとし「不十分」と指摘した。医師間の連携では、「ハイリスクな治療では、チームで診療するのがあるべき姿」(長谷川助教授)と問題提起した。
3.医療事故はなくならない
この最終報告を読み、どうしても納得がいかなかった。怒りを通り越し、読み進むにつれ、溜め息ばかりが溢れた。
病院側は「ミスは直接的な死亡の原因ではないが、3回目の手術がなければ(少年の死は)起こらなかった。間接的な責任はある」「トータルとして責任を感じている」(新藤政臣院長)程度なのだ。病院側がその責任を認めることはなかった。「15歳の命はなぜ失われたか」。その疑問にはっきり答えられる人は、誰もいなかった。
医学の知識がない者に、心疾患を患っている少年への全身麻酔が、どれほど危険なものかは分からない。しかし、綿の置き忘れという明らかなミスがなければ、3回目の手術は行われることなどなかったのだ。当然、その手術中に心停止などありえない。連日の手術になったのは、休日や他の手術日程の都合で、この日以外に手術室に空きがないという病院側の理由で執り行われたものだ。それでも、全身麻酔は「妥当」だというのだろうか。
この医療事故を調査した外部委員は、長野病院側が選出している。代表を務めた長谷川助教授は、武藤正樹副院長の知人であり、完全な中立が保たれているとは言い難い。医師の間では、他の医師の診療方法に口を出すことはタブーとされている。まして批判するなど、以ってのほかだ。自らもいつ、医療ミスを犯すのか分からないからだ。病院の判断で外部委員を選任することには限界がある。病院が病院を評価するという矛盾を抱えているからだ。
X.少年の死を無駄にしないために
1.初心に返る
医療ミスに関する報道を聞かない日はないと言っても過言ではない。連日のように、日本のあらゆる医療機関で医療ミスが起きている。そして、これからも医療事故は増え続けるだろう。各種の医療行為がますます高度化し、複雑化するからだ。高齢者になるほど副作用や合併症は生じやすくなるため、高齢者の事故がこれまで以上に増加すると予想される。また、看護師不足など医療制度に由来するものもあり、原因は実に根深い。
医師が無責任でいられるのは、ミスを犯した医師に罰がないからだ。最も有効なペナルティーは、医師免許の取り消しだろう。どこの先進国にもある制度だが、日本ではこの種のペナルティーが機能していない。殺人や強姦などの犯罪を理由として医師免許を取り消すことはあっても、過去30年にわたり、医療過誤を理由として医師免許を取り消された医師はひとりもいない。
厚生労働省は2004年2月4日、医師免許取り消し4人を含む、計34人の行政処分を発表した。免許取り消しになったのは、覚せい剤取締法違反事件やわいせつ事件で有罪が確定した医師と歯科医師2人ずつ。厚生労働省は2002年2月、医療事故の民事裁判でミスやカルテ改ざんが認定された場合も対象にする方針を発表し、具体的な処分方法を検討してきた。しかし、前回(昨年7月)に続き、医療ミスを繰り返す「リピーター」医師らの処分は見送られた。
なぜ、医師になるのか。人の命を助けたいという使命感に満ちた医学生はどれほどいるのだろうか。現在の医師は偏差値が高いか、実家が裕福かに二極分解しているように思う。偏差値が高くなければ医学部に合格できないし、私大の医学部に通う学生の8割は、親も医師だという。一般大学とは桁違いに学費がかかるのだ。
偏差値が高い=医師としての能力が高い、訳では決してない。確かに、最近の医学は進歩も早く、学習しなければならないことも膨大なため、成績が良くないとついていけないと言われている。しかし、努力する意志があり、医師としての理想と正義感に燃える学生であれば、学力が一定の水準を越えていれば、偏差値が特別高くなくても問題はない。患者を前にして、どれだけ真剣に取り組めるかが、医師の資質の基本だと考える。
「手当て」という言葉がある。意味は@用意。準備。A報酬。給与。B手段。方法。C処置。世話。看病。D警察の捜査・捕縛の5つである。
読んで字の如く、「手を当てること」。それが病気を治すということなのだ。子供の風邪を心配する、母親の姿が一番近いだろうか。具合が悪いと訴える子供に、いきなり体温計を渡すのではなく、先ずはおでこに手を当ててみる。咳が出れば子供の背中を、手のひらで撫でてみる。暖かい手が安心感を与え、子供にとっては一番の薬だろう。
どんなに医療が高度化されても、根本はここにあるように思う。検査の結果だけに気を取られるのではなく、患者の顔色、目をしっかり見て診察してほしい。そこには検査の数字に勝る、患者の訴えがあるはずだ。
2.ドラマ『白い巨塔』に見る現代の医療
フジテレビ開局45周年記念ドラマ『白い巨塔』が、高視聴率を上げている。国立浪速大学病院を舞台に、地位と名声のためなら手段を選ばない一流の外科医「財前」と、患者本位の治療を行う内科医「里見」の2人を中心に話しが展開されていく。当然フィクションなのだが、そこには権力争い、がん告知、医療事故など現代の医療界を垣間見ることができる。現在ドラマでは、裁判の最中だ。食道ガンの手術後亡くなった患者の家族が、@肺への転移を見落とし手術を行った、A術後のガン性リンパ管症を肺炎と誤診した点につき責任を追及するためだ。しかし、病院側は、カルテの「整理」という名の改ざんを行ない、財前を恐れる医局員も口を閉ざす。その中で、里見だけが真実の告白をするのだ。
多くの文献を読むたびに、これがドラマの中だけの話しではない気がする。この醜い人間模様が、病院の本当の姿なのか。そう考えると恐ろしい。患者本位の医療には程遠いからだ。
医療事故が繰り返される理由は、医療界のあまりにも保守的な体質にあるように思う。医師は他の医師の批判をしないという不文律があり、たとえ医療ミスが起こっても、目をつぶってしまう。それは、裏を返せば、患者側に立って発言してくれる医師が、あまりにも少ないことに他ならない。
ミスがあったこと自体を隠蔽してしまい、偽りの理由をつけ、何も無かったことにしてしまう。また、たとえ患者が事故に気付き、その原因を突き止めようとしても、病院側は責任の所在をあいまいにしてしまう。それどころか、患者側が、少しでも責任追求の姿勢を見せようものなら、カルテの改ざんや偽証まで行うのだ。多くの患者は、泣き寝入りを余儀なくされるのが実情だ。
患者にとっての最後の切り札は、民事裁判だ。ここにも、医療界の歪んだなれあいの構図が持ち込まれるため、被害者が極端に不利な立場に立たされることが少なくない。勝訴にいたる被害者は、3分の1ほどだ。医療ミスが起きた時、患者側に真実を伝えてくれる医師も少数ながら存在はする。しかし、患者に有利な発言をしたがゆえに、病院から嫌がらせや異動など、理不尽な扱いをうけるのが現状だ。
本来、事故の再発防止に重要なのは、起こった事故を徹底的に分析し、その原因を突き止め、教訓とすることだ。ところが、医療の世界では、この当り前の法則が成り立たない。医療事故の内容は、ごく一部の当事者しか知らず、病院内にも知らされることはないだろう。過ちから学ぶという姿勢が、あまりにも欠けているからだ。事故の内容を具体的に示し、再発防止に努めなければならない。また、事故には至らなかったものの、「ヒヤリ、ハット」した事例も十分に検討し、事故につながらないよう教訓としてほしい。
今回、長野病院の医療事故においても、病院側の判断で外部委員を選任した。しかし、病院が選任することに限界を感じる。ただでさえ、カルテなどの情報が病院側に独占されているため、患者側がミスを立証するのは難しい。重大な医療事故が相次ぐ中、患者や遺族が泣き寝入りしないためには、独立した調査機関など、高い倫理観が保たれた、公正な第三者機関が必要だと考える。
おわりに
大学を卒業し、社会人としての生活も、もうすぐ丸3年を迎える。学生の頃には見えなかったものも、たくさん見えてきた。分野は違えど、サービス業に就く私にも、忙しさと顧客サービスは永遠の課題だ。「忙しさを理由に正当化する」ことは、決してしてはならないこと。しかし、理想だけでは仕事が進まない。
現在、長野病院の医師の数は50人、看護師は228人。調査当時は、医師45人、看護師は204人だった。少なからず、増員はされているようだ。これでも、まだ人手不足との声が聞かれるということは、当時、医療事故が起こらなかったほうが不思議なくらいだ。
当時の職員へのインタビュー調査の中で、「人手不足だけれど、人数か増えればいいというだけの問題ではない」という看護師の言葉が印象に残っている。当時は「増えれば楽になるのに」と漠然と思っていた。しかし、いま、その意味が分かるような気がする。人員が増えるということは、今まで採用に至らなかったレベルの職員が採用になるのだ。今の長野病院が少数精鋭だとは思えないが、士気が下がるような人員が増えても困る。人的ミスは医療従事者ひとりひとりに関わってくるのだから。
今回の件で、小さな行動(ゼミや卒論での調査)が、大きな組織を動かす難しさを実感した。当時とは、職員の顔ぶれも変わり、医療技術も大きく進歩し、より高度な医療へと変貌を遂げただろう。過酷な労働条件の中でも、一生懸命働く職員がいる。だからこそ、働きやすい職場であってほしいと願う。人間は必ずミスを犯すもの。これを前提に、ミスを100%防ぐシステムを組織の中で確立していかなければならない。
長野病院での少年の医療事故は、遺族が示談に応じることとなった。理由は、病院側が過失責任を認めた、正式に謝罪、全力を挙げて医療事故防止に努めることを確約、補償は誠意を持って話し合うことを約束、の4点で評価したためだ。医療体制の安全性の確立をまとめた報告書の内容をうかがい知ることはできないが、今度こそ、今後の長野病院に期待したい。
いま、現場で何が起こっているのか。それを知らなければならない。どんなに耳の痛い話しであっても、目を逸らさず、真正面から見据えなければならない。とかく、上層部は現場の状況に耳を塞ぎ、目を瞑り、あらゆるものを数字だけで管理したがる。しかし、現場に目を向けてほしいと切に思う。些細な事故でも、包み隠さず原因を究明することは、必ず将来への教訓となる。「15歳の命はなぜ失われたか」。今回の医療事故を肝に命じ、医療ミスを二度と繰り返してはならない。少年の死が決して無駄にならないよう、願うばかりである。
<参考文献>
『信濃毎日新聞』 2004年1月8〜18・26・27・2月3日付朝刊、2004年2月21日 Yahoo! ニュース。
『毎日新聞』2004年2月4日 Yahoo!ニュース。
伊東 隼也『これで安心! 病院選びの「掟」111超実用 医療ミスから身を守る患者マニュアル』講談社、2002年。
近藤誠・清水とよ子『医療ミス 被害者から学ぶ解決策』講談社、2003年。
今井澄『理想の医療を語れますか』東洋経済新報社、2002年。
久松潜一・佐藤謙三編『角川国語辞典 新版』 角川書店、1998年。
長野大学長島専門ゼミナール編『The Moustache Vol.]』2000年。長島ゼミHP(http://www2.nagano.ac.jp/nagashima/
sub004-10-1.htm)を参照。
フジテレビHP http://www.fujitv.co.jp
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